▼ 問題設定についての私感(二) - 2008/08/02

技術開発の世界に身を置いている者としてはこんな感じ方が…。

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@ある定まった位置(現在の自己領域のテーマ)に立って、頭を四方八方へ巡らして何か無いかな、と。

A定点から一時的に踏み出して逍遥(何となくぶらぶら歩き)してみて…

B定点無しに何か、ひょっとして見つかるものがとの獲物を求める意識をもっての彷徨(さまよいうろつき)

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@では、運動暴発的行動なので余程の幸運(セレンディピティー)が無い限り糸口がつかめない。

Aは、気分転換的行動型(犬も歩けば棒に当たる/兎飛び出す木の根っこ)なので、これも又難しい。

Bさまよい中にピンと来る事象に当面したとき、定点を修正するか或は定点を新規に設定するか…。さまよいの運動量は大なれど獲物は大きい。

そこで、気分はAであるが、下心はBでゼミ・技術展・学会・技術・情報NET等を徘徊することに。ことに昨今は、かつて象牙の塔の主であった学者達がPRブースの店頭に立ってのセールス。これには、ポスターあり・プリントあり・丁寧なQ&Aトーク。

これらは、まさにデパート地下食品売場の如く、料理の種類は異なっていてもどれも美味しそう。自己の波長発信しての味見。レスポンス(反射)波長を感じながら脳の中でじっくり、ある時は瞬間的に問題が形作られる。能力開発に関わる知人曰く、それらは一応の技術知識の上に行動力・好奇心・先見能力・企画力がオンしている者のケースですよ…、と。

▼ 問題設定についての私感(一) - 2008/07/19

問題が無ければ答えは出せない。答えを出せる人は賢い。問題を作る人はもっと賢い。問題はどうやって作るのだろう、と。

問題を開発の設定テーマとしたとき、ニーズが目前に差し出されれば設定は簡単。ニーズが漠としている場合は難しい。

意識の面からは、その領域が「空」であると不満の気が生じ、何かで埋め込まなければ、いや埋め込むものがある筈と思ったときに設定。

又、偶然にとんでもない事象・事態・情報に直面して「何故?」と思ったときに。

そして皆が見過ごしていると感じたとき、いや気付いたときに、無から有を創ろう、との意欲の下、白紙の上に独自のコンセプトを画ける能力の人が…。

組織的には、そのコンセプトを掬い上げるMOT体制の存在。

それを公式テーマに組み上げ、仕組みを作って推進できる人の存在。

発生する現象の価値を評価できる人の存在。

そして商品へ結び付けられる人の存在があって問題―答が帰結することに。

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世の中の既に標準とされている事柄を一旦否定してみて、若しそこまでの力量が無いときは、プラスアルファ(色・香・姿・構造・特性など)してみての問題作り。それには五感を総動員して絞込み、かつ若干のセレンディピティーを期待して…、でいかがでしょう。

五次元の証明に挑戦中のMITのリサ・ランドール博士曰く、「真実に向かって、勇気とインスピレーションを持って立ち向かおう」と。

▼ 屋久杉 - 2008/06/21

屋久島の縄文杉に感動した友人、TVの世界遺産紹介番組などに触発されて、旅したいと思うも都合つかず、とりあえず本でもと探すと、『屋久島の山守・千年の仕事』(高田久夫著、草思社、2007.5.1刊)に触れ、大感動。以下、ポイント抽出分。

山師は木を伐って搬出するのが仕事。明治以前は鋸が無いので斧だけで伐る。それも人が抱えて運び出せる寸法に切る。

木の成長は幹で1ミリ/年と遅々たるものなる故に、大木は千年齢以上を屋久杉と称し、千年未満はコスギと呼ぶ。大正11年に森林鉄道が開通した為、大木がどんどん減り、昭和57年に天然木の伐採は一切禁止となった、と。

そこで山師達は生活の為、土埋木(どまいぼく)の掘り出し・搬出を業とするようになった。土埋木とは江戸時代の伐採木の根部・残材を指し、家具材や工芸品用にと。

年に8000ミリの降雨量の島は花崗岩質でお世辞にも肥沃な土壌とは言えない。それだけに植林/苗の植え方は難しいもの、と。

「根の張り方が自然体になるよう植える。実生の苗はきれいに浅く横に根を張る。そして地形に素って根が伸びる。養分がある方向へ根が発達して行く。根は呼吸するので土は厚く覆せない。浅ければ水を吸い上げ、栄養も採り易くなるし、湿度にも和するし、横からの風に強くなる。

千年も経てば、木は長く重いので根が横に拡がっていないと倒れてしまう。白神山地と違って、屋久島は腐葉土層が薄いため、根を横に拡げないと生きられない。大木の根の周辺を人間が踏みつけるのが最も避けなければならないこと」と。

目次からだけでも教訓がいっぱい。

・折れない木はない

・一人で高くなったら風が当たる

・自然を急がせることはできない

・木から木が生える

これだけ予習したので、現地で真の学習になるとこでしょう。

▼ 尊敬する人は誰ですか - 2008/05/30

今時、「あなたの尊敬する人物は誰ですか?」なる質問は入社面接の時ぐらいだろう。でも人は、いつも自己の精神の昂揚に強い影響を与えてくれた人々の存在を感じている。私はかなり多人数に亘るので分類しました。

 国家の命運に立ち向かった人々

・東郷平八郎 - 日露海戦で敵艦隊が南方より北上、日本列島の北か南か、何れのルートを選ぶか、で苦吟。正しく、「皇国の荒廃この一戦にあり」だけに歴史上、か程の厳しい立場に立った例は無い。

・吉田茂 - 終戦後の講和会議にて、単独講和を決断。今日の日本の繁栄の基礎を固めた。

ノーベル平和賞の人々(人類愛に尽くした人々)

マータイ女史・国境なき医師団・マザーテレサ女史・マーチンルーサーキング師

官位なき普通の人々(小市民)

ゴツゴツな手で愚直に働く人々

実際に国・組織・地域・企業など、この種の人たちが支えている。

自分の人生を支えてくれている人々(尊敬よりも敬意、ありがとうの気持ち)

祖先(先祖)・父母・学校の先生方・先輩・友人

義父は洋服仕立て職人で三女の親。戦時中、突然の召集令状。心中いかばかりか。幸運にも復員でき、懸命の仕事でやっとの生活。やがて子達は次々と社会へ。それに比べて昨今の汚職・偽装・談合などの人々の存在は嘆かわしい限り。国際間の事も嘘・欺瞞・故なき非難が横行。その種の人々・国に尊敬できる人が居るのでしょうか。

▼ 表情 - 2008/05/16

人の表情は千変万化。無表情のポーカーフェースから喜怒哀楽まで、個々人の顔面形状に重なっての表情一連続画像を人は認知して判断プロセスへ。

ゲーム大手のセガ社による音声の解析によってアニメキャラクターの表情を自動的に作るソフト開発は泣き笑いなどの複合表情をも表現できるとのこと。

これとは逆に、表情を読み取って音声に変換することが出来れば、三内丸山遺跡の土偶(縄文時代)は死目前の絶叫か、いや祈りの唸りか。  切り抜かれた目の奥に深い暗と冥界を暗示している様にとも思える埴輪(はにわ)の声も聞いてみたい。

又、能面のような、と表現される能面も光の角度と影(陰影)がもたらすアナログ表情を、デジタルソフトで充分に変換しきるだろうか。 光の当て方で、発生音声にどんな変化が生れるのだろうか。

さすれば、能面を三次元画像化しYES/NOの判断テストによるうつ病・統合失調病などの早期発見の精神分析システムも可能となるか…。

歌舞伎の役者が動作、感情の頂点を一瞬止めて、ある形にして表現して印象付ける見得やフェイスペイントのくまどりもこの道にかけてみたいところ。

表情や音声から感情をより正確に解析できれば、その利用範囲は広大。医療分野のみならず、商取引・外交折衝にも威力発揮。果てはポーカーフェースの下にひそむものまで抽出してしまうかも……。 ケイタイの送受信でも、解析ソフトが組み込まれると油断ならない。そうなると防衛的変換ジャミングソフトが出現し、のいたちごっこが。“思うだに、楽しくもあり 恐ろしくもありのソフトかな”。

▼ 合従連衡 - 2008/05/02

類義語に雲集霧散、離合集散などあり、何れも心穏やかならざる響あり。

新聞を開いても、大は国家、中は産業、小は人に関わるくっついたり離れたりの記事多々、産業分野とて、コングロマリット・多角化、その挙句には集中と選択の流れでむりやり離れたり、又、企業の中とて、人の流れは核のまわりに回転、それは業務上のご縁のみならず、地縁・血縁・学校縁などが複雑に作用して、いくつもの渦が生れて、やがてうねりとなる。

そこでふと思い出すのが、わらべうた―花いちもんめ"。勝ってうれしい花いちもんめ/負けて悔しい花いちもんめ/どの子が欲しい/あの子が欲しい/あの子じゃわからん/相談しましょう/そうしましょう。(この歌の真の意味は口減らしの女の子についてのこと)。M&A・合併・提携などいよいよ広く深く進行し、ハイテクFPD(LCD、EL、プラズマ)では眼も離せない程、その動きは速い。ITソフト業界とて同じことを思っていると、アルセロール・ミタル合併で製鉄業界に激震。

人間一人では生きられない様に、企業とて生きる為の、いや生き残る為の策を求めて手段を選ばずの段階へ。総合化学会社が医薬品へと完全衣替え・造船会社がドックを持たずにインフラエンジニアリングへ・ITもハードからソフト専業へ、など少しも珍しい例とは言えない。

合従連衡で規模のみ大きくても内味が薄ければやがては霧散。人も離散の浮き目に。その先、何かが生まれるには、人が先ずは集うこと。そこに和と知恵があれば、それが核となって雲が湧きましょう。そこに更に新しき人や資金が吸い寄せられて行く。

▼  気配り - 2008/04/13

気配りとは、相手の立場を慮ること。英国国王主催の宴席で、ゲストの異国王が、フィンガーボールの水を飲んでしまい、英国側出席者たちは凍り付いてしまった。それを見た英国国王はすかさず同じ様にフィンガーボウルフィンガーボウルの水を飲み事なきを得た、との逸話。今日この頃では、我が身のことで精一杯の人が増えてきたからでしょうか、摩擦状態が随所に発生。それゆえか“気配りコロン”なるオンラインコミックが不作法へのイライラの解消に役立っているとか。企業現役時代、ベンチャーに入社の若人たちへの教育、いや躾という気配りをトップより受けた。今から思えばそんなイロハを、と感ずるも、若し知らざれば肌寒い思い。

・初の海外出張を控えて、急遽一流ホテルでの会食マナー講習会兼壮行会を設営して下さって、東京オリンピック直後とてワインでの食事など、映画の一駒で見ただけに……。

・永年勤続の記念時計が何の手違いか給付されずに。担当部長に問うも、役職ランクが一定以上ゆえに駄目と。それから8年後、何気なしにトップとこんなことありました"と会話したところ、程なく8年前の日付の時計が届けられ、びっくり。

・新製品提案委員会の長を指令されて、約一年の活動の結果、唯の一提案のみ採択、一件とは言え極めて有望な品目とのトップの評定が出て、褒賞台湾旅行。旅行の権利を若き委員たちに譲って喜ばれる。一年後、突然トップより台湾に行かなかったのだね。それでは代りにヨーロッパへ一ヵ月の旅を……"と。

・ゴルフクラブを初めて握った頃、トップ曰くゴルフは紳士のスポーツ。ルールとマナーが命"。コンペには同組で、何くれとなく。洗面台の髪の毛をきれいに拭き取って、を横目に見て改めて、フーッ。

振り返って己は部下に、心が感応する様な慮を発していただろうか。今、悔いています。

▼  爪で拾う - 2008/03/29

慣用句に「爪で拾って箕でこぼす」があり、子供時代に文字通りの体験済み。ムシロから零れ落ちた穀物粒を円念に摘み上げて、やっと箕(竹製のちりとり様)に相当量を集めるも、運搬歩行中つまづいて散乱させてしまって泣きベソ顔になったことが。爪に火を灯すように貯めた銭を、詐欺・投資・紛失・盗難などで失ってしまうことも同じ意味。ニュアンス的に同類句「九仞の功 ― 箕に欠く」も、最後の一盛りの土が無ければ山は完成しない、と。又、「千日の萱を一日で焼く」も他人事とは思えない。経営・管理の面からは、これらが極めて大切なこととして、細心の注意を払いながら本道を着実に進む努力が肝要なること、言を待たない。

物事は、とかく計画通りに遅滞無く進むことは少なく、更には天災・事故も降りかかろうし、次々と困難もが襲ってくるのがむしろ普通(?)と考えておくべき。さりとて細目に拘泥して大局(本道)を見失っては本末転倒。実体験で、化学品製造タンクの付属小管の付着異物が触媒毒となって反応進まず、それまでの中間反応物が全部パーの状態に、の経験も。

1995年の福井県の高速増殖炉「もんじゅ」の熱媒ナトリウム洩れ事故は、どれ程の国家的損害であったか。温度計用さやの一寸した設計不備とか。その結果が何千億円のプラントが死に体に。「上手の手から水が洩れる」なんてレベルとは思えない。年金の記録ミス・有名食品会社の偽装も、そのときはささいなこと、との判断であったろうが、結果は重大。損害莫大・信用は地に落ちたこと当事者たちは反省しているのかな。じっと自分の爪を見つめよ!

▼ 潮流に乗る(二) - 2008/03/14

自動車パワートレイン系への密封剤とそのラインシステムに慣れ、それが馴れに変質してしまうと電機・電子分野の設計変更のスパンの短さには戸惑いが生じ、組織・社員の意識に適正を欠く状況が随所に生じ、同じものさしで計画・管理・評価するという不味さが表面化、昭和40年代 半導体の封止材事業の撤退という悔いを残したことも。 又、ハイテク分野への早期参入などは、経営戦略の下での政策決定で為されること。しかし乍ら担当トップが愚昧かつ保身型なれば、そのことに消極的・否定的となって結果的には為さざるの罪形に。

今をときめく導電性フィルムなどはこの例。とは言ってもバルク型化学品に膾炙している事業体としては精密寸法ものを手懐けるのは少々無理だったか。当時、本業が安定的に推移してくると、精力的(?)トップは多角化と称して食品事業、日用品事業に着手。人的・物的資源を大きく割り振っての注力。いずれも成功域に達せず、キズが広がらぬ内に幸い撤退。事業戦線からもたらされる大量の市場情報も、分類し・拱別し・洞察しの精度悪さも、上級クラスの感性の問題か、とも。 潮流に乗るべく、個々の事業化アイテムは担当長の力量によることが多い。サラリーマン的「長」のケースはジリ貧からやがてボツに、の事例多く見た。

一方事業化が順調に軌道に乗ると、安心感とやがては静かな傲慢の気配が発生。その結果、やがては行き止まりに。上述のことは昭和40〜50年代の話でしたが、マインドとその危うさは今日でも似たようなことかも。「得手に帆揚げての本業の深耕」こそ健全経営の至言かと。

▼ 潮流に乗る(一) - 2008/02/29

ある工業用副資材的ニッチ製品に着目したベンチャー企業の草創期に入った技術者として振り返ってみると、戦後日本の工業の変遷に乗ったものとの感慨。資本もなければ卓越した技術シーズも無い創業者が目を付けた機械補修用化学品のいくつかを足を棒にしてのセールス活動。

やがて自動車産業の興隆と共にパワートレイン系の密封剤、電機産業の発展と共に有機絶縁材料が求められ、当時圧倒的に多かった有機溶剤含有型商品を越えて無溶剤・常温反応性の硬化性液状組成物(接着剤・充填剤・シール剤・絶縁材など)をとの直感(?)から、エポキシ・アクリレート・シリコーンの所謂エンジニアリング用硬化性組成物に注力。 更には、剤(液状製品)では顧客の使い勝手が悪かろうと、顧客の組立ラインで工員の手作業に代わる施工装置(定量吐出装置と吐出ヘッド駆動装置)を併せて納入すれば省力化度で喜ばれ、一方、小部品には予め施工処理(別項No.056『PRE○○』2001/8/24参照)済の形でサービス度を膨らませ、信頼増大へと。

さすればやがて、顧客のニーズ(新規プロジェクト引合・現行技術の改良要求・近辺ニーズの暗示・競合社の動向などなど)関連情報は膨大となり、それらを解析・統合して“明日は何を・・・”が見え始まる。それは潮目と潮流を感じさせ、その結果は潜在ニーズを浮かび上がらせる。それらは研究開発を生産と販売部門の一体的活動があってのこと。 更に付け加えればセレンディピティーの要素も。世に言われている大成功の事例はこの要素に契機づけされていることが多い。 次項(二)では“そうは問屋が卸しません”的のこと、を。

▼ 土地勘 - 2008/02/22

土地勘は、その地域の道路網と交通のあり様を知っている上での行動を指す。研究開発とて自己の専門領域ならば、テーマの設定・進め方に左程遅滞はないものの、専門近接領域の技術項目を組み込まなければ、いや更には遠隔の要素をも相乗させなければ画期的と評価はされまい。さりとて運動暴発は避けるべしと、望遠鏡で高所より眺め観察し、必要なれば偵察隊を放ち、また、そこをよく知る人を引き入れたりの努力は肝要。

幸い今日ではロードマップ・技術書・特許情報・技術展・ゼミなど多様に存するので、迅速かつより適確なスクリーニングは可能であろう。開発部門で商品(技術)FのFX・FXXの設定に際して、顧客からもたらされるニーズ情報は散漫的で、魚で言えば大魚や魚群につながるものは僅少ゆえに、定置網をどこに設けたら、トロール網はどの海域で曳航すればよいのか、がポイント。もの造りの世界では材料加工プロセスが基本要素。何れか一方で新規性が組み込まれないと面白くない。その結果が土地勘の拡大をもたらし、利用範囲の拡大へとのスパイラル上昇が期待できる。

別項(No.56)でPre-○○に触れました。Pre-preg、Pre-form、Pre-mount、Pre-coot、Pre-energy Charge等々のコンセプトを組み込んだ結果、反応性液状オリゴマーの商品が単にバルク(液状)品から、加工品、システム商品と拡大して、殆どリスクを感じない状態でFX品の成功を手にした経験があった。反面、土地勘のない領域に無理手出しの失敗例もあり、苦渋をなめたことも確か。

▼ 廃坑 - 2008/02/08

国家のエネルギー戦略から発して、旧財閥系は傘下に炭鉱を保有、住友赤平・三菱大夕張・三井砂川など・・・。昭和30年代北海道駐在で工業用品のセールスでの巡回で、炭住街の活況と選炭作業による河川の汚れに驚いた記憶あり。それらも石油への転換による影響で次々と廃坑への道を辿る。古城と同じく、廃坑は“夏草や つわものどもが 夢の跡”の感強し。殊に次の2例は哀れを催す。

・北炭夕張 ― 国家政策のスクラップ&ビルドのビルド側に立てるも、昭和56年坑内火災事故で93名の死者を出してしまいアウト。市は観光へと衣替え(石炭博物館・遊園地)するも全国的テーマパーク競争に敗れ、そのあと市民は悲惨。
   ・長崎端島(通称 軍艦島) ― 小さな島に採炭機構と住民施設がずっしり詰まっての完結機能都市。5000人以上の住民を抱えるも、昭和49年閉山、いや、閉島。

一方、運良く、いや、当事者努力で生き延びた事例もあると知れば嬉しい。

・常盤炭坑 ― スクラップの対象となるも、観光で生きようと、炭坑地下水の利用によるリゾート施設を企画。詳しくは映画『フラガール』で知られる温泉リゾート「ハワイアンセンター」。成功に拍手!
   ・釧路コールマイン ― ビルド側に立てるも、コスト・量的問題から、先端技術を装備して自坑を使っての、海外へ門戸を開いた採炭研究センターに活路を見出し、中国・インドネシア・ベトナムなどの研修生受入を。


同じ廃坑とは言え、石見銀山の廃坑エリアが2007年世界遺産に登録のニュースは、輝きを発するもの。聞くに、1526年 山師が“山が光った”と鉱脈発見。以降、最大3万人、40トン/年算出して世界シェアが35%だったと。精錬技術の由来を調べるに、朝鮮伝来で、銀に鉛を加えて動物の骨灰と共に加熱すると、鉛のみ灰に吸着して銀は残る仕組み、とか。

一方、金の廃坑では佐渡金山。1601年に発見され、以来、徳川幕府の財源。平成元年に三菱マテリアル社は採掘中止。2007年廃坑と。かのジェンキンス氏も関連企業で勤務されておられたので、立ち寄り握手。


個人的には卒論が「溶媒抽出による石炭の液化」であっただけに感慨一入。

▼ 宿いろいろ - 2008/01/11

華やかなテレビの旅番組に及ぶべきもないが、昭和30〜40年代の発展途上国・日本の中小企業マンの業務出張でのたびの想い出はまさしく人生の一齣。

広島の宿
 寝台車による初の長距離出張。同期生の下宿に泊まるも、明日の準備で午前様。西日本風朝食の菊菜の味噌汁のおいしかったこと。

房総の宿
 社員旅行で宴会後、胃痙攣の発作。幸い工事部門がトラックにて参加であったので、にわか救急車で病院へ。胃の痛みより、来月に迫った初のヨーロッパ出張が“フイ”にならねばよいがの想いの方が・・・。


万座温泉
 耐酸性浴槽工事で一週間ほど滞在となれば、宿の従業員と同格。サービス業を肌で感じ取るも、反面温泉気分は無し。

大阪桜の宮
 緊急工事で10名ほどの宿泊手配が取れず、やむなく同伴ホテルへ。江戸時代のお局様風造りの部屋。バタンキューで詳細記憶なし。

湯布院
 大分の製油所工事のあと、当時はかなり鄙びた温泉村へ。同行の営業マンは補修工事のセールス中。さすが・・・。

弟子屈・川湯
 別項で記載の原生林に沈む夕日/SLの汽笛ボーボーーッで下車した川湯。案内されたやけに広い部屋、襖の向こうが騒々しい。襖を開ければワーキャーの嬌声。聞けば○○女子薬科大の卒業旅行。鬱の気分がいっぺんに躁へ。


ベルギー・ブラッセル
 社長と共に3人旅。古びた小ホテルの部屋に入って愕然。Wベッド1つ。部屋中央に土管の排気抗。末席の小生は床にゴロ寝。聞けば国際見本市期間中とて、市内のホテルなら上出来とのこと。

オーストリー・ウィーン
 帝国ホテルのスイート。ブラッセルとは様変わり。社長、思うところありと食事の後、長々とお説教アワー。夜の繁華街ブラツキする気分になれず。シェーンブルン宮殿も遠方より一瞥のみ・・・。

米国・ワシントン
 宿泊ホテル内、中華レストランで順番待ち行列中のこと、同行の社員に向かって白人女性曰く“ヘーイ、ボーイ! 早くアレンジせよ”と。一寸考えさせられる一場面。若し逆に同じ発言を女性に発したら・・・。

▼ 次元(二) - 2007/12/21

魂の通過する暗い長いトンネルは異次元への通路か。そのトンネルの径は原子寸法の何億分の一程の極微細孔か。疑問と混沌の渦の中に居ると、今夏(2007.8月)のハーバード大リサ・ランドール博士の講演(於東大小柴記念館)「宇宙の新理論“目に見えないものを求めて”」に大注目(「ワープする宇宙」の著者)。女史によれば核分裂の実験で若干の粒子が突然消えてしまった。一体どこへ行ったのだろう。異次元へ移動したのかも。その消滅確認の実証実験が2008年欧州原子核実験センターで計画され、粒子衝突実験装置で究めんとされている、と。

一方、学会では「超ひも論」なる物質の究極の姿説が根付き始め、それは原子の1025分の一程の超々微細なひも状で固有振動と振動波を有し、この真空中に多量に詰まっている、と。これは単なる思い付きでの論ではなく、4つの力(電磁気力・重力・強い力・弱い力)の大統一理論の有力な領域として発生したもの、と。この論も、とりあえず10次元という多次元空間での振動と。さすれば現世4次元を差し引いて残り6次元は一体何なのか?

一方、カルツア・クライン宇宙論では、この世(4次元の世界)は、10次元の空間の中である種の膜(BRANE WORLD)に貼り付いており、膜を通して素粒子やら重力やらが出入りしているのかも・・・と。

人類はつい何年か前にやっと知り得たのはDNAの超精緻かつ複雑な原子の組合せ機構を知ったばかり。その原子ですら究極の真の姿が掴めていない今、想像を絶する神秘な仕組みに想いを馳せるのは自然の流れ。人類にとって“いのちとその継続”は最大にして最重要テーマですね。

▼ 次元(一) - 2007/12/14

夜の星空を眺めていると宇宙の神秘に気が動く。人類は星が発する光の観測で宇宙を知ろうとしてきたが、光らない物質―暗黒物質(ダークマター)―の探索プロジェクトが、かのカミオカンデの神岡宇宙素粒子研究所で始まった。計算上は宇宙の23%がダークマターで、唯、重力のみで電磁波すら出さないとなると観測はきわめて厄介。それでもこの宇宙は4次元。

既報の数珠考('07.8.3)、宇宙は真空から一瞬にして生まれた('07.7.13)心は生命の波動か('06.7.12)、では生命―宇宙に少し触れました。「もっと知りたい」の気持ちから入門的専門書を漁ったり聴講したり、と。加齢人の為せる技か・・・。人が死を迎えて物質的肉体はやがてリサイクル(?)されて原子の形で残ろうが、元来宿っていた筈の生命と称される存在(もの)はどこに行ったのだろう。暗黒物質に転化しているのだろうか。

30年以上前に米国の「垣間見た死後の世界」論文集に触発され、以降、この種の情報を広く追って眺めて驚いたのは、不思議にも死へのプロセスと構成が極めて類似していることであった。「肉体を離れた魂は病室の天井近くに漂い、何らの感情も無しにベッドと自己の肉体を眺め、壁をすり抜け、病室へ駆け寄る人々の身体をすり抜け、自由に空間を浮遊し、やがて暗く長いトンネルに落ち込み、やがて出口の輝く光に到達し・・・それから・・・。」上述のダークマター検出は、地球の裏側から貫通して到達する素粒子を液体キセノンを満たした直径80cmの球型検出器によるとか。

ひょっとして魂の素粒子(粒形状とは限らないかも)は特定ダークマターであって、この4次元の世では生命体と無生命物が存在する如く、生命機能を持つ、いや、それ自体が生命であるマター(物質状)かも・・・、と。

▼ 人事異動体験(四) - 2007/12/07

シール剤・接着剤・コーティング剤等の製造部門を担当してみて、顧客は缶入り液体をどう使っているのだろうか、上手に塗れているだろうか、塗り残しがあったら、はみ出し分は、どんな道具で・・・等々気になり始めた。

ある時ふと霊感(?)閃き、PRE-COATなるコンセプト発生。早速本部へ提案するも却下の憂目に。直後、大手の顧客から要望発生し、開発部でテーマ化。後年ドル箱に。翌年、提案委員会を任され、1年間の活動で僅かワンテーマ採択。極めて有望とのトップの評価によって、報酬旅行台湾行き。その権利を若き委員に譲ったところ、翌年にトップより、替りにヨーロッパ旅行を、と。

単なる観光旅行は興味なしと思い、JETROより同業者リストを得て、訪問打診受諾の会社10社を巡る。当時は1,280ドルの外貨割当を得てのビジネスツアーへ。3週間の懸命の弥次喜多道中も、帰朝報告を聞いたトップ曰く「我社も大いに海外事業を展開しましょう。海外部を創る。ついては君が責任者。5年以内に米・欧・伯(ブラジル)に法人設立し、工場稼動せよ」と。文献読めても会話さっぱりの小生には晴天の霹靂。逃げる訳にも行かず、発令受理。

それからは業務出張で海外市場が逐次判って来ると、学ぶこと多く、特に生産ラインの省力化・機械化は欧米の方が進んでおり、省力機械部門の新設は、化学品とのシステム・セット販売で他社に先駆けられた次第。又、高分子化学技術も米国が先行しているだけに、学べるところ多々あり。井の中の蛙を避けられた。

全てに苦労と緊張の連続。三大陸工場稼動したところで胃に孔が開いてダウン入院。気が付けば研究所へ転属発令。少々ホッとしたのが本音でした。以下略・・・。

▼ 人事異動体験(三) - 2007/11/30

先行の競争品を追って、試作品を評価機関への提出。幸い高評価得て、受注活動に入るも予定の顧客4社は難色。リーダー的1社の責任者を裏技で口説き、手がかりを掴み、共通技術ネックの存在を知った。ひょんなアイデアから解を得、これを交換材料として発注書を次々と獲得。同年決算は借財清算しても大いなる余りあり。これで材料販売は勢いづく。

次なる矢はと成型物に注目。当時主役のポリエステル系FRPには目もくれず(大企業には敵うすべもなしと)エポキシFRPに素人的着手。幸い化学配管、レーダードームなどで拡大基調へ。絶縁注型材料品の販売で得た知見を基に、コイルモールド事業も開始。当然ながら大手電機会社から4名スカウトしての発足。缶入り商品販売から、成型品販売へと拡大。一方、細々展開の工事部門は先行き暗しの状況。

或日、偶々業界新聞で「シールド工事」の文字、直感的にSEALEDと早とちり。実際はSHIELD。トンネルにSEAL剤を多量に使うと見て、手元の水硬性エポキシを当局に提案。紆余曲折を経て採用に。瓢箪から駒とはこのこと。複数のゼネコンの下、本格的シールド工事へ参入。さすれば工事部強化と言いだしっぺの小生に異動命令。次々と受注のトンネル工区、発電所・製鉄所・製油所などの大型プラントの防食工事、気の休まる暇もなし。休日の理髪店まで追いかけて来る電話(ケイタイの無い時代です)。

エポキシ事業会社が順調に発展・拡大すると、親会社のトップは少々複雑な心境に。企業グループの組織改編がある日突然為され、営業部門は全て親へ、親の生産部門はエポキシ会社へ。そうなると製造部門への異動発令書が自動的に発行された。

▼ 人事異動体験(二) - 2007/11/22

8月に入り、東京本社、上層部のゴタゴタが表面化し、風雲急を告げる事態に。9月には札幌事務所閉鎖も決まったとか。この夏休み中にはと、道内婚前旅行を企て、それも文献持参で。

9月に入ると、Drより、エポキシ製品の新子会社設立を聞き、グッと元気が出てきた。帰京直後の10月1日、町の料理屋広間で新社発会式。40名の大部隊に驚く。聞けば前述のゴタゴタ事件の反乱軍が処分されての新社へ島流し? 営業部門の責任者として年長の営業部長のお歴々を部下に持っての大変さ。何と言っても商品知識をイロハから教える苦労は・・・。何よりも彼等はほとぼり冷めれば元に帰れるとの意識が残っていること。オーナーにしてみれば、3年で軌道に乗らねば廃社・全員解雇を考えていたと、後年判明。

古手社員を相手にしていては埒が明かんと若手のみで動くことに決め、足棒と若さでセールスに邁進。立ち上がり時期はコーティングと接着剤中心での商いで、徐々に市場ニーズの流れが判り出し、一方、エポキシ樹脂の利用可能性について、北海道学習が役立って、将来は明るい事業なること、日々確信できる状況に。とは言っても決算的には厳しい状況に、毎月末の責任者会議では針の蓆。

天は己を助くる人を助く。至るところ清山あり。新入セールスマンが、ある電機会社で検討に入った、競争品エポキシの情報をもたらした。その情報を掘り下げてみると起死回生的宝の山テーマ。新社の全ての能力をこれに注入して受注せんと決意。どうなることやら・・・、なるようになるさ・・・、と。

▼ 人事異動体験(一) - 2007/11/16

サラリーマンならば誰しも当面する事態で形はいろいろ。昇格して他部署へは本人は嬉しいもの。左遷で意気消沈して、新任地への赴任は人生哀し。

偶々、ベンチャーに入社、新設の研究室に配属され、寝食忘れて研究に没頭。程なく大企業の博士(Dr.)が入社。その後、技術担当重役が元部下を引き連れて団体で入社。必然的に、押し出し的に新設の技術サービス課へ。気が付けば同課のメンバー、皆同一大学卆生。何故? 程なく同課廃止の噂あり、櫛の歯が抜けるが如く退社移動。

当方とて気持ち揺らぐところに、件の博士の心配りで札幌技術駐在員として一時的避難人事措置。5月のこととて夏の北海道に惹かれて、婚約者を都に残して北の大地へ。迎えてくれた同期生は亜流でも頑張り中の営業マン。“販売無くして企業なし”の号令を受けてのセールス活動。とは言っても昭和30年代当時の北の大地には、顧客層になるもの造り産業は少なく、機械修理材料のセールスには多難さ極めた。新設の火力発電所は東京本社よりの商品が占領しており、炭坑では新規の商品を検討する姿勢なく、ビート工場訪ねるも、年度整備が完了していたり、と散々。自動車トラック整備場で、やっと100gチューブの注文にありつく有様。夕刻、斜里にて乗った客車と貨車の連結列車は、行商の老姿と若きセールスマン(小生)の2名のみ。原生林の向こうに沈む真っ赤な夕日、ボーーーッとSLの汽笛。

後年に知ったことであるが、団体入社の研究マン2名は同時期米国へ研修旅行に派遣されていた、と。一方、こちらはDrより送られたエポキシ樹脂の文献資料多々持参学習しながらの汽車旅の毎日。これにはDrの思惑が・・・。

▼ 節(せつ) - 2007/11/09

節とは信念のこと。
“我は我なり”は自信からか、頑迷さからか
節を守る人は頼もしく見える。
でも、少々節を曲げませんか、と問われれば
それは己の沽券に関わり、柔弱人と思われたくない、と。
でも、世の中動いています、状況も変化しています。
妥協や迎合を求めている訳ではありません。
節と節とのぶつかり合いだけでは何も生まれません。
一寸曲げてみれば摩擦が減って和が生じ、
やがて全体が円滑に、ついには輝くようになります。
後日、あなたの勇気と賢さが称えられましょう。


地動説は科学の真理に関わること故に“曲げること”は出来ませんでした。

▼ 地球温暖化(序章は終わり第二章へ) - 2007/11/01

地球はヒタヒタと暖まりだした。爆発的人口増加と飽くなき欲望生活のつけ。このつけを償わんと、人々はいろいろ画策すれど欲望には勝てず、つけは膨らむばかり。自分の身に直接的に降りかからない限り、人は目を覚まさない。

地表的には、ゴビ砂漠の黄砂増大/南極大陸上のオゾンホール拡大/東欧の熱波/英国南部60年ぶりの大洪水/北極氷棚の崩壊/南米パタゴニア・エベレスト・グリーンランド・南極・北極海の氷雪融解進行/キリマンジャロ山の氷河消滅、等々限りなく。大都市とて、ヒートアイランド東京/30年間で2℃上昇のロンドン/北京の大渇水/サハラ砂漠の中のトンブクツー町の川が30年で消滅。動植物とて、越冬地が宮城県のマガンが20年後の今、北海道まで北上/長崎キアゲハが三重・静岡でも発見/南方プラクトン北上によるカキの死滅、等々多々。

温暖化が進行すれば、地表温度の上昇に伴う成層圏の寒冷化が進み、大気が不安定になり、雪雨・集中豪雨・地域的少雨・台風大型化等で日常生活は翻弄され、やがては過酷な社会へ、と。


高度成長時代以前の生活経験者として、自然を友とする省エネ型の日常は、茅葺き屋根と障子の天然エアコン型住居、気候変動対応型の重ね衣方式、リユース・リサイクル容易な縫製和服、冷蔵庫不要な湧水利用と保存食の発達(殊に発酵食品)、天然産品(山菜・海草・小魚など)の効率的利用。昔は昔と片付けずに、そこから学ぶべきこと多々ありと私感。いざその時が到来すれば、強いのはこの人たちかも…。

▼ 諫言(かんげん) - 2007/10/26

他人からの忠告・諫言を素直に聞く態度の人は稀有な存在。殊に統治者(国王・政治家・企業家・業界指導者など)の周囲には利得を期待してのゴマスリ人が群がる為に、耳障りな発言者は疎んじられる傾向にある。古代中国では、王は諫言係を近くに侍らせ、事に応じて耳を傾けたと言う。

自身の例、偶々オーナーの側に列していた時、立ち話の折に何気なく以下の提言(忠告との認識はなかったもの)。「主要原料化学品Sの納入はオーナーの親族会社が独占しており、権利関係・情報・価格権限の所在不明等々、将来を想うに不安がある状態と。よって新しい取引関係の構築を考えましょう。ついては現状分析に入りたいのですが…」と。後日、同僚から言われたのは“本項目はアンタッチャブル。触れれば首が飛ぶ”ものと。幸い、関係正常化の作業に入れ、過去の経緯/書簡/覚書/契約書等の整理と解釈と関係部署の意志統一が為され、メーカー/納入会社と当方の3社で新取引契約が合意に。しかし乍ら、メーカー・納入会社側からすれば不愉快なこと。提言者として対外的失礼が在ったとの外交的(?)理由にて、社内的譴責処分を受けて幕引きとなる。後年、自由度が拡がったこの種の原料分野の製品が繁盛しているのを聞き、嬉しい限り。職位が委ねられればそこに責任が発生。一見、自己に不利と思われるものを避けて通る―我関せず―姿勢はその組織体を損なうこと明白。負け上手(?)な諫言係の経験でした。

▼ 想定外 - 2007/10/19

中越沖地震(2007年7月)で、東電柏崎刈羽原子力発電所の損壊で、当事者たちは想定外のことと主張。想定外とは、当初想定していた枠内に納まらないことを指す。若し想定基準が甘ければ、多くが想定外となり、その結果、当事者たちの責任にはならないことになってしまう。我田引水的論法での基準設定は、自己の自由度は広く・高く、責任範囲は狭く低くの心底から発した、自己・組織の本能から発したもの、としか思えない。

人命に関わることについては、「万が一」を、発生は無いだろうとの「億が一」の姿勢ではなく、「百が一」で発生は起こり得る、との前提で取り組むべき。これには、常々謙虚に、耳を大きくそばだて、目を大きく開き、皮膚で風向きを感じられるように、事に当り、予見能力を高めたいもの。悲劇的な結末が出てから、“これは想定外のこと”と言い訳しても後の祭り、不毛なこと、と。原発問題に限らず、交通・治水・衛生・防犯・防災などの当事者の方々、深い留意あれ。全ては国民の幸せの為に。

▼ 人の性格とプラスチック添加剤 - 2007/10/12

人の性格分類方法「エニアグラム」とプラスチック改質用添加剤の特性表示は重複して見える。かなりこじつけ的ですが羅列してみました。

プラスチック添加剤人の性格(シニアグラム)
紫外線吸収剤 ジワジワ迫るUVに身を挺して強烈な自己愛を持ち、楽しさを求めて計画する人、楽観主義者
難熱剤 熱くなってもカッカしない完全でありたい人、他者へは不寛容
発泡剤 熱くなると膨れて泡立ち成功を求める人、うぬぼれ人
帯電防止剤 静電気が溜り難い完全を求め計画するも、自己愛強く他者と折り合わず
滑剤 表面のなめらかさ形成知的で冷静な観察者で知識に執着
カップリング剤 充填剤とのなじみ調和と平和を願う人、他人に合わせる共感力あるも優柔不断
光重合開始剤 光エネルギー受けて反応の引き金特別な存在であろうとする人、感動を求めるも鬱状態に向かい易い
相溶化剤混ざりにくい分子同士をなじませる人の助けになりたい人、よりよい人間関係を築く情熱に富む

昔のむらの名主さんや町の世話役(肝煎・長老)たちは、懐に諸添加物袋を忍ばせ、口まめ手まめ人の為に、事に応じて臨機応変にふりかける能力を持っていたのだろう。今の多くの政治家は発泡型・帯電防止剤的かな、と更なるこじつけを。

▼ 人生は驚きの連続 - 2007/10/05

 驚きは瞬発的なものばかりではない。ジワジワと湧き上がってくる感動的驚きもあるし、不思議に感ずるホワーとした型もあるし、場面・状況によっていろいろ。


R&Dの世界に身を置いていると、他社他機関のスーパー的○○開発品に先ず驚くことが多い。更に、その開発体制を知って驚く。その企画ステップを聞いて驚く。皆、自然体で、自分の頭で考え、自分の責任で、自分の流儀で推進したことに驚き、それらを総合的に認める風潮にあることに驚く。驚きを素直に受け入れれば、次に驚きを与える側に立てよう。驚き(サプライズ)は偶然か必然か。その究極側は人生伴侶の拱択、いや、めぐり逢い。最大最高の驚きごとでしょう。

▼ 誰かが見ている - 2007/09/27

昔、親や先生たちは子たちの悪行の戒めに、よく口にした言葉は四知―天知る地知る人知る子(我)知る―だった。これは中国・十八史略に記述の“賄賂を差し出された高級役人楊震が相手を諭した言葉”で所詮悪事は時間の問題で白日の下に曝されるもの、と。現代社会では複雑な社会の仕組み・法律などの隙間を掻い潜っての不当利益を得んとする輩の数々、医療保険の不正申告・偽装食肉・賄賂・談合入札・強盗・振込め詐欺・性犯罪等々、浜の真砂は尽きるとも世に犯罪の種は尽きまじ、ですね。人間に欲(金銭・性・楽・権力・名誉・・・)がある限り根絶やしは不可と見えるだけに、技術の力で証拠作りに注力し、犯罪は割りに合わないものとの社会認識を確立すること、に集約されるかも。

人は善人であろうとも、組織人になると立場上、判断意識が組織優先となり、結果的には罪の領域に踏み込んでいるのが悩ましいところ。“悪事千里を走る”は逃げ切れることを指しておりませんこと、念の為。

▼ 算額(さんがく) - 2007/09/21

子供の頃、成田山新勝寺の絵馬堂で算額を見、不思議を覚えたもの。普通の絵馬は動物などの絵が多いのに、漢数字と円図形の組合せであった。後年になり、算額の由来を知り、改めて当時の日本人の算数おたく族が神社仏閣に問題や解き方を公に知らしめる為に額奉納と言うパフォーマンスに熱中したことに驚いた次第。

古くは百問答術(1962年)、諸約の法(関孝和 1683年)、四余算法(1697年)など;現存するものは820面に及ぶと言う。江戸時代に日本独自に発展した数学(和算という)は、視覚的な幾何学も含めて拡がり、直接的な金儲けにならないのに円周率への挑戦や微分計算など、頭脳合戦を必死で楽しんだ模様。

そこでふと思ったのは、同時期の西欧でフェルマー氏が本の余白にメモした有名なフェルマーの定理「n≧3の時、Xn+Yn=Znを満たす自然数X・Y・Zは存在しない」が若し関孝和が知ったとしたら、どうだったろうか、と。350年後の1995年、数学者ワイルズ氏等によって、やっと完全証明された位の超難問だったが、1900年にはパリ国際数学者会議でヒルベルト23問題、2000年パリのクレイ数学研究所でミレニアム7問題(賞金100万ドル)など、新規の超々難問題が提示されている。数学会のノーベル賞とも言えるフィールズ賞とも併せて、門外漢にも興味ある頭脳レース。

別項「友愛」(2006.6.23)でも、算数の世界に触れました。いつも感ずるのは、大数学者の脳の仕組みはどうなっているのだろう、と。

▼ お誂え - 2007/09/06

誂え品・オーダーメイドは身装品(服・靴・帽子など)では寸法マッチの理由から広く普及。乗用車とて車体色/内装色/パワー機種等、組合せると何千種になるとか。それは半ばオーダーメイドに近い。

色・寸法変えによるコストアップは販価高につながり、メーカー側がそれを抑制する努力もいろいろ。それにはある程度まで標準品の揃えをし、顧客の要求にフィットする様に、直近の標準品種の僅少修正によって対応する方法―ズボンの裾上げ・ケイタイ電話機の化粧カバー等、本体そのものには手を加えない手法。

しかし乍ら理想は、高価であっても顧客は喜んで(かつやむを得ず)購入する形がメーカーにとっては一番。例えば、耳栓。個々の人によって耳孔の形状・寸法に差あり。よって、シリコーン注型ゴムによる完全フィット型は、当然かなり高価になるも、補聴器装着の方々や、オーディオ愛好家たちは気にならず。又、座席のフィット性とて、コンマ00秒を競うレーシングカーのドライバーにとってみれば、体型(尻形)へのマッチングは絶対要件。となれば車椅子とて同じこと。

“顧客の数だけ品種が必要”と求め続けられるメーカー側は、コストアップを抑える製造方式を考え出すか、コストは二の次として完璧な満足感を顧客に与えるレベルの品を提供出来るか、の時代に入ってきている。一点豪華主義、或は一ポイント豪華主義が蔓延するであろう今後、メーカー側の対応のあり様は興味津々。

“ダブダブズボンにツンツルテンの上着を着て、ロールスロイス級リッチ座席の軽自動車に乗るのが新しいクールと見えるか…。YES or NO?

▼ 仕事のゲーム化 - 2007/08/31

仕事がお祭り並みに楽しければ、と誰しも思うところ。休暇・レジャー・団欒など、楽しき時間は直ぐにタイムアップ。心理的圧迫を求められる仕事は、他から押し付けられたゆえか深刻に。自らが求めての登山は頂上に至るまでは肉体的に辛くとも心は伸びやか、ゆえに楽しいもの。

あるゴルフ好き経営者の下での経験。多くの支店・営業所の販売目標・付加価値・利益・それらの伸展率・新製品の販売高・代金回収率等、約30項に亘っての評価項目設定、月・四半期毎の評価、予選を経て本選に進むと○○支店対△△支店の様なスクラッチ方式。評価項目とて、各々のパーが設定され、当然バーディー・ボギー値範囲も設定される次第。年度末には一堂に会しての大表彰式パーティー、賞状賞金のオンパレード。活動期間中は女子事務員ですら自部署の経営(?)数値を即答できるのには驚き。思うにゲーム化とは言いながらも各事業所の長はストレスの抱え込み大、と推察。所詮、経営トップの経営管理手法の一つか。それでもこの活動に“やり甲斐”と感ずる社員が例え入賞せずとも真の勝利者かも。社員のモチベーション向上による意識改革と社員の一丸化を狙ってのこと。経営者にしてみれば、最終的には決算が全てとなれば、これとて自身のゲーム化なり、と解釈。経営者とて、業界の中で、世界の中で、自社の位置・評価が常に求められているゆえのこと。

“お山の大将”の苦しさは楽しさの前奏曲。社員には・・・?

▼ 日本の子どもたち - 2007/08/24

明治の時代に来日した外国人たちが一様に驚いたことは、“日本は子ども天国だ”と。子どもは大切にされ、教育にも熱心とあるのがその理由。当時のその子どもたちを祖父・祖母とする私たちも同じく大切にされ、戦争の戦禍はあったものの教育の場は欠けることがなかった。殊に家庭での教育―躾が何より大きく、それが後年、日本社会の構成カラーに影響を及ぼしていると感じている。恐縮ながら自身の例を下記。


とは言っても子どもから見れば「禁止事項の多さ」に囲まれていたので、自発性が損なわれていたのに気付いたのは社会に出てからであった。学校標語は『善学善遊』(小学校)→『愛』(中学校)→『質実剛健』(高校)→『真理の探究』(大学)と変遷。

▼ 日本人の感性 - 2007/08/17

日本人の感性についての書籍は多い。その大半は自然との関わりから醸成されたものと。それは、表現の仕方が自然の有様をなぞったものだから。日本人にしてみれば日常的な自然のことでも、外国人にすれば“そんな表現の仕方があったのか”と。“音”の表現でも自然からは、鳥の囀り・流水の音色・波の音・風の音・樹木草になぞらえて。人工的な音ですら、自然の材料を加工して自然に和する様にと鹿威し・笛・太鼓・寺鐘・鈴、果ては水琴窟・能舞台の下に埋め込んだ音響用かめなど。その究極は僧侶の読経か。文章、意味判らずとも、有難くも居眠りを誘う波長が、いつの間にか独特の感性を育んでいるのかも。

色とても、季節に重ねての表現。緋色(巫女さんの袴・緋毛せんなど)は際立ちと華やぎ。翠(みどり)・杜若色(あやめ)・向日葵(ひまわり)・枯葉(11月)など、植物の微妙な色合いを借用する例、多々。不思議にも、これらの音・色も一度でも見たり聞いたりしない限りは百万文字、千万言を費やしても決して表現できない。幸い、日本にははっきりした四季があり、山・川・海が複雑に在り、多地域のそれぞれに独自の文化・習慣が発達・発展したので、微妙・繊細なものを形容詞化する傾向が強まったのではなかろうか。

尤も現代では、色とてインクジェットによる発色が100万色を超えるとか。音とて音声波長分析によって、かなりの事まで判るとの事。一方、“騒音”と言う音も産み出され、「悪貨は良貨を駆逐する」如き状況が頻発。そんなときには静音代表の仏壇の“チーン”が感性にマッチ。

▼ 数珠・私事考 - 2007/08/07

別項の数珠考で触れた、珠と珠とを繋ぐ紐は、人々との関わりを表し、親族・縁族は言うに及ばず、教師・学友・地域社会の方々より成っていると。殊に職業の場の紐は太く、それは次なる珠との相関は最強のものと思える。以下、私的経験の紐、いや、ロープ例。

  1. ひょんなことから海外部門設立に関わり、協力の大手商社訪問時、偶々隣接ビルに会社顧問氏のご子息経営の技術情報サービス企業ありと知り、立ち寄る。その場で紹介されたのが大手化学会社のU氏。少々のトークでヨーロッパプロなること知り、驚く。
  2. U氏の勧誘で異業種の技術交流会に参加。極めて熱心且つ和やかな多くのメンバーと知己に。又、例会講師に大学後輩が現れたのにも新鮮な思いを。
  3. 異業種分野、故にプラント・光学・大型機械・繊維・公立研究機関・大学教授(経営)・電機など広範囲に亘り、全てが“目から鱗”級の楽しさ。
  4. その後、メンバーの移動(退会・新規参入)などあり、バックアップ組織の変動等もあって三転し、今日、小世帯ながらも会は勉強会のみならず新規事業発案推進型に変身中。自身が主役のテーマも一つ。
  5. 事情あって退会されたメンバーとの個人的つながりで維持発展するケースも多く、珠を産み出す紐―ご縁―は多彩になっている。
    • 本出会い欄のPPi社との関わりもこれより・・・。
    • 国際企業の動きに関わる啓発をK教授より。
    • 広範囲に亘る化学技術先端情報をN博士より。(同氏はその後KAST初代専務理事に。)
    • マクロエンジニアリングの有様を示してくれたY博士  などなど

借り(受取量)のみで貸し(?)がありませんでした。別の方々に出荷をしなければ申し訳ないとの思いある今日。

▼ 数珠考 - 2007/08/03

後醍醐天皇より賜ったとされる知恩院の巨大な数珠(110m、320kg)に驚くと共に、これが数珠の始まりとも知った。念仏を唱えながら数珠を一つずつ“つまぐることは心を静め/災いを除き/事を正しい方へ向けさせる”との仏様の説法を聴いている心の姿勢を表したもの。従って合掌しながら怒ることも出来ないし、数珠を繰りながら悪を謀ることも出来ないのは明白。

数珠は珠とそれを連結する貫通ひもからなるシンプルな構造・形なるも、それだけに何かしら秘めたるものを感じさせる道具(?)で、人それぞれ感じ方がありましょう。珠は人生での生ずる種々の出来事、ひもは次なる珠への誘導準備期間(時間)と。一見、それは単なるひも(紐)と見えるも、細線の縒り糸の束から成って、更に拡大して見れば個々の細線はミニ数珠の構造をとり、更にそのミニ細線はナノ数珠から成るという具合に限りなく形の繰り返しで、あたかも宇宙―原子・素子の仕組みに重なる。偶々数珠の形で人の手に触れるよう現出して来たものとしか思えない。珠と珠の間隔は年・月・日・時間・秒・マイクロ秒・・・と多段に折り込まれ、一つのある事象(珠)が次なる事象を産み出す仕組みかと。衆(俗人)が数珠を手繰るのは単に現世のご利益を願っての行為のみにあらず、生命の根本に触れんとする自然の行動かとも。

「人生=数珠論」何か因果応報論と重なるようであるし、そうでない様な気もするし・・・。この種のことは大先達たちの説法が助けになることでしょう。

▼ あ・うん の呼吸 - 2007/07/23

共同作業に於いて、円滑に進行する為には不可欠の要素が、あ・うん。スポーツの世界では(個人競技除く)、極めて重要な要素で成績・成果に直結するもの。サッカーのパス回し、アシストとシュート。野球の盗塁阻止・ダブルプレー。シンクロナイズドスイミング。テニスや卓球のダブルス等、随時・随所に求められる。

又、芸能分野とてスポーツに劣らず高度に求められている。その中で最も印象にあるのが文楽の人形使い鑑賞会では人形しか見えなく、操作の3名は黒面布黒装束でありながら、且つ人形の倍もある身体なのに、その存在が感じられなくなってしまったことに驚く。人形の首と右手の係・左手の係・足の係の3名が義太夫の音曲に意気を合わせ、人形に生と感情(情念)を吹き込ませる様は、まさにあ・うんの呼吸の精粋と。に於いても、眼部位に小孔のみの能面を付ければ極めて視野が狭まり、相方(相手方)との演技・舞の調子合わせも至難。唯々あ・うん度を高めるのみ。

会社活動でこんなことがありました。同業他社に先んずられた実装用絶縁材料は、営業部門での緊急調査によって当局では仮採用レベルで最終確定ではないこと判明。開発部では超特急で要求仕様に合致する試作品準備と認定評価機関へのテスト依頼、生産部門での量産体制準備、トップは顧客上層部への根回し、営業部門は予定顧客(4社)の状況(組織・担当部署・責任者・現場担当者・他社侵入度合など)把握。組織連繋プレーに個は無く、有るのはチームのみ。混然一体の結果は逆転満塁ホームラン。そしてゲームセット(4社より独占受注成功)。40年以上も前のことでした。

▼ 風 風 (フー フー) - 2007/07/20

人は 生きる時、風に囲まれ 風に染まって
雨ニモマケズ 風ニモマケズ と風に乗る人
いや、明日は明日の風が吹くから、と風に吹かれて風まかせ
でも、風の囁きは 無心の境地のこころ風
されど、天上大風と無風のせめぎが現代風
よくよく見れば 風にも イロイロ
光る風 薫る風 すきま風
やっと掴んだ追い風に 乗って風っ子
その子もやがては 風の旅人
熱き風に触れての職人風や学者風
そして 風の軌跡に沿っての風太郎
  いつも 風(フー)風(フー)・・・と


こんな風が吹きました

「沢山の困難が有り、人は拠りどころを求めるが、形の有るものでは満たされない。光や風・先祖など、目に見えないものに支えを見つけた時、人は一人で立っていけるのだと思う」(第60回カンヌ国際映画祭 グランプリ受賞 河瀬直美監督)

「私のお墓の前で泣かないで下さい、そこに 私はいません 眠ってなんかいません 千の風になって 千の風になって あの大きな空を吹きわたっています」(新井満 日本語詞・作曲)

▼宇宙は真空から一瞬にして生まれた - 2007/07/13

時たま、宇宙の成り立ちとその不思議さに触れたくなる。素人ゆえにカラー絵付きの解説本を眺めると、天文学者が中心と思われるが、原子物理学・数学・理学・生物・・・など、諸分野の人々が渾然一体となっての研究。

宇宙は何も無い真空より生まれた、と。禅問答にあらず、量子論的には粒子がエネルギーゼロ地点で揺らいでいる物理学的真空では量子は存在―非存在の間を揺れ動いているとか。その伝で言えば空間ですら非存在になるとか。それは言わば異次元の移動時のトンネル効果のなせる業と。ど素人にしてみれば、エザキダイオードのトンネル効果・生から仮死への移動時に通過する暗く長いトンネル・小説『雪国』の“国境の長いトンネルを抜けると雪であった”的かなと。

この世は4次元(3次元+時間元)なれど時空は10次元。さすれば差引き6次元は何なのだろう。それは超ヒモ論で10-35mの振動するひもに織りたたまれている、と。いよいよ判らない。ふと思ったのは、肉体に宿る魂は、どんな風に寄宿しているのだろう。靄状の波動網目が肉体内部を付かず離れず絡み付いているのか。肉体的死に際して6次元の世界に移動し、千の風となって元の肉体の中へも吹き渡ってくるのか・・・。神が存在するなら6次元の主か。いや、それを超越した10次元の創造主か。俗人から見れば、斯程の仕組みが大自然的に生まれるとは思えないし・・・。

“我思う、故に我在り”とするならば、この4次元の世界も仮― 一時的な存在とは思えず。では、その先は・・・、判りません。科学技術と宗教の接点を扱った映画『コンタクト』に重ねて空想してしまう有様。大先生方、頑張って真理の仕組みに迫って教えて下さい。

▼技術の伝承 - 2007/07/09

少子高齢化に伴う人材不足の懸念が技術立国日本にヒタヒタと迫る中、暗黙知の伝承こそが白眉の急。暗黙知とは、心身に刻み込まれている経験や勘に基づくノウハウ・こつ・ものの見方・考え方などを指し、表現し難いながらも何故かうまく出来てしまうこと。これらをIT技術を駆使して形式知に表現出来れば、後継者への伝承も効果的に進むであろうとベテランの技量を文字・図表・映像等に変換する活動が増えている。将来的にはロボットへの高度なティーチインも考えられる。個人の技としては工業分野のみならず、舞踊・音楽・芸術(古典・能・歌舞伎など)の分野でも、若年より身体で覚えさせなければと家元制度などでその維持が計られてきたが、形式知への転換が進めばかなり効率的になってくるかも。(特定の暗黙知が存在するからこそ家元制度が成立しているとなれば、形式知化には反対するかも。)一方、個人のみならず組織体に於いても、暗黙知が多々存在しており、殊に経営者・上級幹部ではものの見方・考え方が経営思想の伝承に於いて極めて大切な要素であることは言うまでもない。

指触のみでミクロン級凹凸の有無を感じ取るプレス鋼板検査マン
ミクロン級の曲面レンズ研削工
ミクロン級の基板表面のケガキ工 など

いかにそれらのコツを形式知に変換するのが難しいことか察せられる。それだけにその変換技術のコツ自体が又暗黙知であろう。何れにせよ、内部的には形式知化を推進しても、対外的には暗黙知の衣を着せておくこと肝要と私考。価値を生み出す大源泉は暗黙知だから。

▼ものは言い様(二) - 2007/06/29

討論では、相互の「かみ合い」が大切。「かみ合い」は掴み合いではなく、議論(テーマ)を理解している上での各自の意見出し。故に例えばサッカーの話にラグビーのルールを持ち出せば可笑しなことになるし、我説こそ唯我独尊と他者の指摘を受け付けずに肩越しにかわしてしまい、負けない為の悪しきテクニックで重装備する者からは、人々はやがて離れてしまうことになる。そのテクニックとは、相手の発言を分析して弱点らしい部分のみつまみ上げて叩き、自分の論にはめ込んで珍妙さを表現したり、反論には短い単語で切返し、更には自分が回答し難い質問には焦点をズラして逃れてしまう芸(?)能力のこと。

本来、日本人の感性として、行間(余白)を読み楽しんだり、言葉の裏の意味を知ったり、果ては相手の心の声を感じ取ろうとする特性がある。それゆえ、相手を「自論」で捩伏せ、一見勝った様に見えても、それは真の勝利とは言えない。科学技術などの真理を求めての討論なれば、他者否定の発言は往々にして見受けられるも、それとて他者と関わり合う会話に於いてはものは言い様、先ず他を尊重する人であれ、と。皆が一応の満足(ハッピー)感が生まれて、全員勝利を目指すことこそ真の討論と。実のある結論が得られるには、感性・知性に加えて品性が求められよう。

でも、現実に直面するテクニック重装備マンには、こちらも少々装備したらと、角が立たないアドバイスを思い出した次第。 ―とぼけもします・おだてにものります・だまされもします―と。

▼ものは言い様(一) - 2007/06/22

若し、討論で「今の君の発言は全く駄目。そこには何らの思想も策も見当たらない。こんなレベルでは話にならないね・・・」と浴びせかけられたら、どう感じますか。人は優しさ・協調・援助・励ましなどに触れると、それに感応して更に成長するもの。ややもすれば、自説自論を強調するあまり他説には批判のみで耳を貸さない輩が多い。

討論は「実現の可能性や重要性・効果性などの観点から出たアイデアや発言を評価する」ことにある。その線に沿えば「成程、そういう見方も在るのだね。ところでこういう角度からの策が求められている現在、君の様な独特の完成からの案はないだろうか・・・。案としてはこんな○○も考えられそうだが・・・」と。素人的・未確定的な一歩引いた態度で相手の波長に同調を求めるスタイルが角が立たない丸い言い方かと。強圧的に相手を決め付けると、相手側も人格否定・自尊心から素直に聞く気持ちになれない。

そもそも日本語の会話のあり様は、相手を思い計って、を前提にして組み立てられている。そこには尊敬語・謙譲語・丁寧語が多様に組込まれる結果、難解に。NOでも遠回しに、他の副詞・形容詞で覆ってしまうゆえ、慣れない外国人は戸惑うことに。典型的な例は「結構です」。NOが主体ですが、日本人ですら判り難い。だからと言って遮二無二チーズをナイフで切り分ける如きYES-NOの峻別よりも、日本ではこんにゃくを指先でちぎって調理する方が遥かに口当たりがよいと思われますが。

でも、どこからか声がしている様―「そんな考え方はグローバル時代に沿わない! とても付き合い切れないよ、サヨナラ。」と・・・。

▼ 2007/ 06/ 15

商品クレーム

商品クレームはそのメーカーにとっては痛切な問題。最近でも、自動車のシャフト強度不足、ハブ脱輪事故、石油ストーブの継手部欠陥、PC電池の出火、等々、経営の屋台骨に打撃となる程。その原因は開発設計部門にあったのか、いや生産部門での甘さが・・・・・。何れの例もクレーム発生前では思いもよらないことが、発生後に改めて気付かされる次第。過去にエンジニアリング用接着・シール剤の開発と生産に携わっていた者だけに、その痛みは理解できる。自己の20〜30年前の苦い体験のいくつかを・・・・・、

設計・研究開発部門では"そこ迄は考えが及ばないよ・・・・・"と。製造部門では"指示通りにしたんだが・・・・・。"と。

問題は、原材料の精度/製造工程の高低/注意力の有無/化学品の特質への理解不足/環境要素・・・等々 山程ある如く、問題(クレーム)発生の悪魔は至るところで牙を剥いている。安住のツケは年一回の決算では納まらず、企業としての信用に関わってくる。結局は経営陣の姿勢と力量に関わっていることと思いますが・・・・・。

▼ 2007/ 06/ 08

食べるに苦労

団塊世代の人たち自身は過酷な貧食の認識はなかった代わりに、その親たちは食料の入手には筆舌し尽くし難い苦労があった。一方、戦前・戦中に学童期の子どもたちは、食への欲求の想いが今でも鮮明に残っているようだ。戦前、時局緊迫と共に、白米飯が五分搗(づき)米へ、更には雑穀(粟・ヒエ・コーリャンなど)が混ぜられ、やがて急造の畑からの南瓜・甘藷が加えられた雑炊に。そうなると腹ベコ子どもたちは山野畑の自然の恵みを勝手収穫―柿・桑の実・トマト・山苺・あけび…。生家は沼畔に在れば、動物性蛋白は沼の小魚類・卵、時々蝮(まむし)や蜂の子。魚の行商来たるも時々の楽しみ。醸造業ゆえに業務用米・甘味料グルコース・麦などの配給ストックあれど、自家用では消費せず、生真面目な明治生まれの親たち。それでも乞食が見えれば、味噌塗りおむすびをさりげなく提供する優しさも。現代では美食や満腹の為のファーストフード・学校給食など当たり前でも、当時にすれば食は命の基。稀にではあったが、帰宅すると母が嬉しそうに「今日はホワイト」とささやく。ホワイトとは白米の勝手隠語。

昨今のアフリカ・北朝鮮の飢餓ニュースに触れる度、上述の経験に重ねてしまう悲しさ。人々が飢えるのは政治の責任と改めて認識。でも、いつのまにかそんな政府を作ってしまった国民の責任がその底辺にあることも要認識。人の親として子たちの飢えを見るのが一番辛い。それだけに日本国の「食」の安全保障は大丈夫だろうか、とふと気になった。大豆輸出ストップ事件の印象が未だに尾を引いている。それにしても、今のダイエット・健康ブームゆえか、雑穀が米より高価とは皮肉なものですね。

▼ 2007/ 06/ 01

時報

今では誰でも時刻を知るのは簡単。腕時計・ケイタイ電話・街中の時刻ディスプレーなど。これらが普及する以前、戦前・戦中の農民は頼りの寺鐘も、金属類の国家供出で聞くことが出来ず不便であった。生家は小部落の内。朝・昼・夕に拍子木で元気よくチャンチャンチャン・・・と打ち鳴らし(子供達の役目)て家族全員のみならず近隣の人々へも時を告げたもの。本来は寺鐘(梵鐘一口径1尺8寸以上)で告げるべきもの、さりとて半鐘(火事などで利用)でという訳には行かない。鐘ではなく太鼓ではと眺むると、中国北京の「鼓楼」が明〜清の時代に亘って大太鼓10基以上並べての時鐘ならぬ時鼓。時の皇帝の「時間を手に入れたものが人々の思想を支配する」との発想からとか。一方、イスラム圏では、モスクの塔からのアザーン(1日5回の礼拝(サラート)の時を告げる人声)が時計代わり。

さて、企業人となれば、始業時刻の認識が大切。単に知っているだけでは不十分。始業時刻を車の運転に例えれば、そのレベルはいろいろ。

それでは、終業時はベルと共に颯と退社ですか。それにもレベルがあると思いますが…。生産性を考えると、一瞬の鐘の音・ベルの響きにも意味・価値がある筈と。

▼ 2007/ 05/ 25

下拵え

何事にも、本番前の下拵したごしらえが肝要なること言う迄もない。料理とて、アク抜き・塩出し・湯むきなど丁寧にやる程、美味しく仕上るし、更には下味のつけ方で仕上味も変ろうと言うもの。旅とて同じく、欧州進出を念頭にした初めての海外出張の準備は、現地訪問会社との書輸のやりとりで、昭和40年頃とは言え、何ヶ月もの下拵え期間となってしまったが、備えあれば憂いなし、であった。

また、下準備不十分にて円滑さを欠いた苦い経験もいくつか・・・・・。

某大会社での緊急の責任補修工事に於て、必要な工具一点を持参しなかった(チェックリスト洩れ)為に、工事区域に入構出来ず、工期がずれてしまったこと。会議室の準備チェックが為されなかった為、来客時ホワイトボードには前会議者たちの文字が溢れ、それも○○○クレーム対策のタイトルが・・・・・。

とは言うものの、冒頭の料理の如く、これを化学品と見たとき、下拵えプロセスそのものが事業になるのは面白い。即ちマスターバッチ(Master Batch)。顧客が使い易いように加工度を一寸上げて提供しましょうとの思想。例えば、ゴム成型に於て用いられる薬品類は粉体が多く、分散性を向上させたり、粉塵ふんじんや臭気の問題をあらかじめ消しておこうと、EPDMやEVAなどと予め混練りしておく予備分散処理が難しいので、特殊界面活性剤処理したり、イオン性液体で膨潤させたりと工夫の数々。

今の時代、顧客は"上げ膳・据え膳"をのぞむもの、そこに事業のヒントが大きくひそんでいるかも。その見方で行けばOEM(Original Equipment Manufacturing:他社ブランド製品製造企業)なんて究極の下拵えものか・・・・・。

▼ 2007/ 05/ 18

闇(三)横取り

成果の他国からの横取り、企業が個人から取り上げ、個人的横取り、などスタイルいろいろ。知的財産権(特許、商標など)の侵害も横取りの一種。別項「その時は蚊帳の外」(2004.04.01)は当人にすれば"とんびに油揚をとられる"の形。企業の競争が激しくなり、それにつれて企業内での成果主義が蔓延まんえんしてくると、静かに巧妙に横取りが始まる。その結果は、情報・アイデア等はふところしまい込み、個人的成績になる様に仕立てる。

こんな事件?がありました。海外子会社の技術マンとのトークの"或種の化学物質が重合助触媒の可能性が・・・・・"がまだ記憶の中に在るうちに、日本の研究所より同じ技術方式での特許出願が為されようとしていた。そこで調べてみると、可能性の教示・サンプル送付等は海外同氏から為されていることが判り、発明者の欄に同氏と付加する様措置した次第。

ややもすると、研究開発段階で、直接的に触れた関係者のみが、その技術の主役と映るが、"駕籠かごに乗る人かつぐ人・・・"の如く、回りに絡む人々が居ること忘れてはならない。

蛋白質にレーザーを照射してイオン化するときに壊れない工夫をしたのが島津製作所の田中耕一氏のノーベル賞。独国人の蛋白質分析技術者のみが受賞とあったところ選考委員の徹底調査で真の技術は田中氏から発せられたものと判明したとのこと。

又、技術成果の対価と言う面では、個人主義の強い米国では雇用契約の際、発明対価の請求権の放棄を、ドイツでは20万円迄と、英国では規約すら無いと。一寸に落ちなかったが、ふと思ったのは、プライドが立つ形の方がずーっと大切と。プライド・品格が横取り精神を吹き消してしまうのか、と。

▼ 2007/ 05/ 08

闇(二)ひたひたと

官公庁の汚職と異なり、民間企業は経営 - 付加価値 - 年度目標管理の宿命から数字に縛られている。組織体の維持上、やむを得ずの闇への接触は有るかも知れないが、法の下、白であることが強く求められるのは当然。それでも本音と建前を使い分けするのは国民性か。悪人は善人を簡単にだませるが、善人は悪人を簡単には導けない。深く静かに潜航する権謀術数に対して、正義・誠実・愚直で対抗出来るのか。

▼ 2007/ 04/ 24

闇(一)購買に関わるケース

物の怪は闇に潜む、と言う。その闇を覗く。光の中に居る側からは闇は見えない。宗教人なら、光のみで本来闇なんてものは無い、と言う。闇を知るには闇の中に入らないと駄目か、いや特別の眼力があれば見えるのか。現実の世界(世俗)の中では、光の中に闇がすきあらば押し寄せてくる。企業の中に長年身を置くと種々の闇が足下からひたひたと迫って・・・・・。

[もの造りの場で]

日本人は、清廉潔白せいれんけっぱくたっとし、としていた筈。侍はいさぎよさが身上の筈。

▼ 2007/ 04/ 17

微笑(ほほえみ)

人がもっともいやされるのがほほえみを投げかけられること。世界三大微笑はモナリザ・スフィンクス・弥勒菩薩半跏思惟像みろくぼさつはんかしゆいぞう(京都・広隆寺)とか。微笑は感情表現。その表情認知を科学的にと、日本では音響情報研究会などでカテゴリー性の検討など為された。アムステルダム大学/イリノイ大学協同でモナリザを感情認知機にかけたところ幸せの感情から来たもの83%と。但しソフト自体が微妙感情認識のプログラムが含まれていないから科学性に乏しいものと。

ほほえみ表情で抜群は、睡眠中にニッと笑う新生児の情動は母親たちにはモナリザの比ではない。とは言っても最新研究の結果、新生児の不快によるもの、2ヶ月後の外界への「快」、3ヶ月で「欲求不満」、4ヶ月で「笑い」、7ヶ月で「怒り・喜び」が出て来ると。 ニッにもグレードがあると言うことか。人にとって目前の笑みからの独特の波動(波長?)による誘発効果は、波動・同調(触媒効果)に加えて音・香り・色彩(感応促進剤)に増幅されるとなると仏壇へのお参りと同類か。ほほえみは慈愛じあい 、それは肉親・家族・親族・友人たちからの発信とするとき、その伝播力は強く、周囲にっと拡がる。皆、仏様の代理人と思える程。何事も包容してくれる安心立命感の空気。愛読書のスウェン・ヘディン著「さまよえる湖」に出て来る楼蘭ローランの美女ミイラの表情の穏やかな微笑は家族への想いと感謝の念であったろう。

いつも感心するのは、英国人は辛い環境に置かれても独特のジョークで笑いリラックスして乗り切ってしまう国民性は今日の日本人にはまだ無理か。せめてハイテク機器と革新的ソフトによる某国の微笑外交官の表情分析によって本心を解析してもらいたいもの。

▼ 2007/ 04/ 10

ある転職

昭和が平成に変った頃、新設の米国研究所の開発管理者を募集したところ、最大のライバル社の部長クラスの応募あり、型通りの書類審査・面接を経て、能力・技術経歴・給与面で問題なく、人物的にも違和感を覚えなかったので採用内定とした。それでも雇用に関わる米国の法令にマッチングするか(日本ならば何ら問題にならない)とふと、気になり、念の為契約しているファーム(法律事務所)にチェックを依頼。その結果、判明したのは「同氏の雇用条件に、同業他社への転職には一定の付帯条件の存在、と会社の同意なくして転職は不可」と。反すればその場合当社も訴訟の対象になり得ると。更に判明したのは「同氏が同業他社への転職を同社が拒否した場合の補償として、年収の30%を5ヶ年支払うこと」と。案の定同社は当社の申し入れに対して No との回答。その後、同人は高分子分野乍ら異種商品の企業に転職したとの噂。あの面接から数年経た時のある専門学会で偶然同氏と会い名刷を見るとズバリ同業種。

このストーリーを知人に話すと「米国では訴訟にならないように弁護士を上手に使はざるを得ないのですよ」と。とは言っても当節M&Aで業種・領域が混沌こんとん状態にあるとどこ迄がライバルなのかの線引きも難しいのではないのか。今にして思うに、ひょっとして映画"羅生門"(原作・芥川龍之介のやぶの中)、真実は何処辺にありや、それぞれの立場によって見方・とらえ方が異なる形か。本人/同社/当社/法律事務所。うまく本人によってダシにされたとは思いたくない・・・・・が。

▼ 2007/ 04/ 04

サポーター

文字通り支援者のこと。支援者いろいろ。金銭面、労力面、智恵・経験面など支援内容もさまざま。表舞台に立っている人を支える人の顔は普通は見えない。裏方・黒子の姿。"駕籠かごに乗る人かつぐ人その又草鞋わらじをつくる人"の乗る人以外がサポーター。

スポーツの世界になると、フィールド整備・合宿場・スコア係・近隣の人々など驚く程の裏方たちが顧客という裏方サポーターと一体となっている。東欧の新体操には技術指導(コーチ)に理学療法士・医師・栄養士などがリンクしてサポートしているのが強さの秘密とか。又、パラリンピックのボランティアによる花いっぱい運動なども裏方に劣らない「芸」と言えよう。裏方にはなかなかマル点が付いてこない(サッカーにはベストサポーター賞があるとか)宿命?がある。捕手のリードに支えられる投手、サッカーのアシストボール、など。それにしても強さの秘密はどこにあるのか、ケニアの陸上・日本女子柔道・日本女子レスリング・韓国女子プロゴルフ・オーストリア アルペンスキーなど、裏方たちの真の力の程を評価できていないのではないか、と。スポーツに限らず、数多くのプロジェクトXドキュメントでは脇役・裏方たちがむしろ主役(表方)と映ること多くあったり、薬剤の開発とて一日千秋のおもうでそれを待っている患者の存在が、飲料水に悩む離島の人々への強い思いが淡水化装置の研究を推し進めたり、列車運行の効率性と安全性の両立に心血を注ぐ罫線けいせん屋の存在。

物事の進行とその成就には極めて多くの見えない力が作用していること言う迄もない。その最大の力は家族の力。よって何事にも陰の力を感じ、謝し、讃える心を持っていたいものです。

▼ 2007/ 03/ 27

日本よいとこ

人は他から認められたい・められたいの気持ちが心の奥底にはあるもの。良薬は口に苦しと言っても、評論家たちの辛口コメントには抵抗感を覚えるのが普通。認められれば、もっと伸ばそうと努力する一方、あまりに厳しく足らざるを指摘されると反感も生じてくる。日本人は他人・殊に外国人がどう日本を見ているか、を非常に気にする民族。筆者もその一員とて、その種の情報を好んで見る。


"外の目"による自己の内なる目を見つめ直す、には格好の情報、それも気分よく。ここで筆者の是非なる希望は、多くの外国人にTV番組"突撃隣の晩ごはん"を。アポイントなしで鍵なし住宅に夕方突如台所に乱入。2・3世代家族の姿とお惣菜の数々。これに笑顔と笑い声が混じって、これこそクールジャパン!

▼ 2007/ 03/ 20

時の氏神

"時の氏神"とは丁度良いタイミングで助けてくれる人のことを指す。かの黒澤明監督曰く、"僕の人生には時々、時の氏神が現れるようだ。"だから・・・・・と。筆者にも不思議に何回も現れて、気がつけば事が良き方向に展開していたものだった。


"至るところ神はおはします"、のがユビキタス。それは情報 - 電波情報。時の氏神は生の人神、その神がもたらす情報も生。それは時の禍神(まがかみ)に逢はないようにとのアドバイスもくれる神。

▼ 2007/ 03/ 12

材料開発と先取り

材料開発者として数多くの失敗(経験の積み重ねと言うべきか)と少々の成功を味わった者として、そこから学んだ教訓は数多い。

「素材を材料に仕立てて、更に部材に育てるには・・・・・」の命題はいつも、何事にも絡んでくるものであった。さすれば次の心根を持って・・・・・


先見とは他に先んずる洞察を指し、二番煎じは香味(利益)に乏しい。柳の木にどぜうは二匹いない、と言はれるが、網種を変えれば別の魚が獲れるかも、先見はロードマップを見れば判るのか、人が教えてくれるのか?

情報は誰もが見るもの、接しられるもの。その中から自己に問はれるものを選択し、吟味するのが普通。人は意識的・無意識的にキーワードを持っている。そして、

▼ 2007/ 03/ 06

教育(個人的体験二)

学校でのいじめ問題がクローズアップされている。小学4年の頃に理由もなく?集団いじめに遭い、母と共にリーダー(餓鬼大将)宅へ行き再発ない様にとの要請した体験。一方、同級生の身体的特徴を故意にはやしたてたいじめ側に居たことも思い浮かぶ。あの当時は何故か深刻な状態に至らなかったのは幸ひ。授業面では、小学校低学年時代に「数字の1や2は点ですか量ですか」との意味の質問に先生曰く「1は1だ、2は2だーっ。とにかくそのように覚えよ」と。中学に入ると「金属の中の電気が流れるとは具体的に・・・・・」との質問に先生曰く「電子が流れる方向の反対に電気が流れると覚えよ」と。何れもさっぱり不明。上述の教師の一言によって一時期その課目が嫌いになってしまった記憶。その一言が生徒の人生の進路に重大な影響を与えかねない。 子は親を選べない様に、教師をも選べない。その教師の能力・経験・情熱・人生観に児童は影響されるもの。私自身、小学5年時、子供心にも人格を感じさせる担任にめぐり逢い、学業にめざめた時期と記憶している。実社会に出てみれば、実にいろいろな人達が居ることを知るべし。

現実は、ビジネスでも何れの職種でも或る種の戦場・修羅場の連続。次々と襲いかかる状況の変化にどう対応したらよいか、その心と技価を身につける必要があること、言を待たない。"臨機応変"の力の基には個人でも団体でも国家でも、教育の「質」が不可欠であることと感じている。

▼ 2007/ 02/02

教育(個人的体験一)

戦前生れの筆者は、小学校では戦中と戦後を経験。当然、戦時下では連夜の空襲・食料不足・物資欠乏の状況。都会の児童の集団疎開・農作業の形の勤労奉仕。にも拘らず授業は青空天井でも精力的に実施されていた記憶。喩え、終戦直後であっても9月新学期がきちんと始められていた記憶。国語・算数など変らず、修身(道徳・公民に相当か)は墨汁でいたる個所が塗り潰しの教科書。

一方、家庭では決められた労働項目 - 家屋敷の庭清掃・床の雑巾がけ・台所用たきぎ揃え・野菜畑の雑草取り・家畜(牛・豚・にわとり)の給餌 等々は子達への役割分担。 農作物収穫期には刈入れ・脱穀作業・天日干しと大忙しの助人子供。中学〜高校〜大学へと長ずるに、家業の醸造業の手伝い労働。自然に責任・役割等について身につき始め、実社会(化学系ベンチャー企業)に入っても、もの造りへの心構え・素地が一応出来ていたので戸惑いや悩みなど出ることもなく、"自分がやらねば誰がやる"の気持ちで仕事に邁進出来た、と回想。思うに現代では、社会状況は当時とは較べるべくもない程の変化あるも、人の生育の為の心のあり様はそんな大幅に変わるものでもなく、又、変えるものでもない、と私感。

家庭での教育に、労働奉仕 - 作業割り当て - が如何によい事か、或いはそれに代えてのボランティア作業や団体スポーツでの"One for All , All for One"の精神こそが、よりよき社会を構成する人々の教育のポイントか、と。加えて"有るもの数えて無いものを数えるな"の精神も肝要。

▼ 2007/ 01/18

教育(藩校)

阿部内閣の発足で、教育問題が最重要政策とされ、根本的見直し作業に入りつつある。教育が国と人の基本要素であることに異論をはさむ人は居ない。だが、その希む方向と進め方については百家争鳴の感。明治維新の後の、昇り竜の如き国威は、鎖国下に或った江戸時代の寺子屋に根ざした"民"の教育への熱い行動に有ったとしか思えない。

1641年、岡山に最初の藩校が出来、100年後に、やうやく全藩が追随、単に読み書きのみの学問に留まらず、藩の経営の為の人材育成にも狙いをつけたものであったと。

1850年頃(嘉永かえい年間)の江戸の就学率は70%以上、識字率は80%は、同時期の英国25%, 仏国1.4%を遥かに凌駕りょうがしていたので、黒船で来航のペリー提督もこれには驚愕。水戸の弘道館・長州の明倫館・薩摩の造士館など、藩によっては国漢学の他 医・算・兵学までも。

一方私立(私学)の形の塾も多々出現。吉田松陰の松下村塾は後年、維新の志士を多勢輩出。

又、政治以外でも地図の伊能忠敬、農政の二宮尊徳、和算の関考和、蘭学の勝海舟などは後年に公に取り出だされての立身。

教育こそが国の礎・家の基との意識を受け継いだ明治時代の先祖をもつ今日の我々は、戦争の災いはあったものの科学技術の振興による国富の思恵に浴していることに思いを寄せたい。別項・祖伝(一)(二)の様に如何なる環境にあろうとも向学心こそが、個人の運命を拓くだけでなく国の繁栄と子孫の幸せにつながること明白なことと信ずる。

▼ 2006/ 12/20

M先生との出会い(二)

M先生から"こんなサークルがあるので入りませんか"との誘い。それは中央線沿線に住いするシニアケミストの会。二つ返事で入会、当方現役とて最若輩の位置。さればと事務係を申し出、一挙に会員と親しく。

化学とはいえ、基礎系・合成系・高分子加工系・エンジニアリング系・知的財産管理系・バイオ系・科学評論系等多士済々。テーマ・話題は当月当審が持ち寄る自由テーマ。自ずから政治・経済・文化・歴史・国際関係等全般に亘っての薀蓄うんちく。人生豊かさの一面を体感。目標設定とか業務とかが伴なわない状態の開放感こそ至極。

M先生は、又、日本有数の大俳句会の会長職にあると知り、単に化学の大人たいじんだけではないことを知る。更には或る日当方の大学OB会の話に及んだとき、"そこのS会長は私の親友ですよ"と。S会長は別項掲載の「手配師」に於ける大ボスのこと。改めて世の中の狭さを知る。これこそ縁の姿。

偶々10年前の資料整理で「語りたい夢は・・・・・」を眺めると、如何にもシニアの会 - 良いお寺さんを知りたい/視力・聴力の低下で新しい世界が見えて来た/団体役員の免除願い/逃した魚は大きかったを反芻はんすう/幻に終った大工場建設を楽しく ぐち る/車事故から立ち直って・・・・・等々。

今日、会の創設者・初代会長氏は92才(90才で退会)でご健勝。20年二昔ふたむかしとなると当時のメンバーも総替りに近く感無量。M先生は平成17年逝去されました。無量のご縁を授けていただけ唯々感謝あるのみ。か様なご縁の経緯とひろがりをと、微力をつくして少しでも報いたいと思っております。

▼ 2006/ 12/06

M先生との出会い(一)

本社から修行(左遷?)で転属した先は、一族が長を務める地方の弱小工場。何とかして陽の当る事業所にと目を付けたのが、クレーム続きでもてあましている新商品を生産しているグループの主力工場。その品目の生産権利を移管してくれれば不良在庫・クレーム処理は当方で負担しますとの提案に合意に至り、改めて新商品開発に入る。性能値では目標値超えるも、コスト的では不満足。

そんな折、別製品の原料メーカーを訪問時、請われて研究所に寄る。一通りの見学のあとの懇談こんだん時に、コンナモノ開発中デスとM研究所長氏から示されたのがくだんの製品と同種のもの。びっくりし即座に提案 - 原料合成は貴社で、製造販売は当方で、と。順調にプロジェクトは進行し、やがて初釜原料入荷し初仕込み。ところが異常反応が発生し、一大事とてM氏陣頭指揮下、両軍の技術陣の徹夜の原因追求実験・電話会議。日の出頃ようやく原因判明。プラント清掃経て新規仕込み・そして成功。

3ヵ月後には計画2倍量の増産要求出るほどの大ヒット。そのM氏(先生)もやがて退任し、資本的親会社の常勤顧問職へと。当方も本社のR&D部門へと移った関係で地理的にも好便と昵懇じつこんに。技術の潮流・業界動向・先端品のお裾分けなど御指導多々で借りが増える一方に。殊に若手研究者たちへの指導教育には極めて積極的でまことに先生でした。

科学技術で超一流の方であるのみならず文化の面でもその造詣ぞうけいの深さを知ることになったのは、ある日先生からの問いかけでした。

▼ 2006/ 11/29

母伝(三)/嫁して

総務部長曰く"工場長から実弟(32才)の嫁にどうか"、との打診話。既に年令も30、当時としては相当の晩婚。それでもご縁と、諾して嫁すことに。別掲の祖伝(一)(二)の大家族いや多家族集団へ。

醸造業と地主業の集団なるも嫁として確たる「座」なく、労働的主婦の形は当時は普通。頭領(前述の工場長)の奥座敷 - 家族は東京住まい - 、表棟は次男家、裏棟は三男家、渡り廊下を結ばれた家屋敷。台所はかみしも、水場と釜場は風吹き込む構造。戦前は多勢の工場従業員の若人たち、戦後は農地解散制による団地田畑の消滅によって食料自己調達の為の荒地開墾かいこんと農作業に軸足。子供達もやがて合せて十名、食事とて親子別々。稀に頭領不在時には家単位にて親子水入らずの食事、母は涙。それでも、太平洋戦争では二・三男家では晩婚が故に、男子は赤紙年令には達せず従って戦死者も出ずは親達にすれば幸運と。

戦後の政治・経済の激動にモミクチャにされた乍らも、子弟の教育だけは、との思いが強い明治人のお陰で、普段はマータイさんのもったいない運動を絵に描いたような生活でも、教育については出費を惜しまない家風。他者への資金援助もあったとか。

やがて統領の逝去に伴う大家族の分解、莫大な財は東京在住の家族へ。母への分与はゼロに近くも笑顔で"皆(子達)が独立・社会人に成長しているのだから今更そんなことで争いたくない"、と。

昭和53年、一人むすめの長年の介護の末、永眠。

思えば激動の時代と人生の修羅場を歩んだのに、いつもほほ笑みと背中で子達を育んでいた人だった。

▼ 2006/ 11/22

母伝(二)/紡績工場時代

裁縫学校卒業後、どんな経緯があったのか語られていないが、府内(都内)の大紡績工場の寮の舎監しゃかんとして入社。 4000名を超える女子工員の寮の監理者男子工員であった細井和喜蔵氏は大震災(大正12年)前年に、ここで労働争議を起こし、一応の成果を得るも、官憲の目を恐れて関西へ逃亡し、そこで著したのが女子工員の悲惨さを表した名著「女工哀史」 - 大正13年雑誌「改造」に3回に亘って掲載、翌年単行本にて出版、近代資本主義の下での或る種の中間管理者としての苦悩は如何ばかりか、母の口から聞かされた事なし。書物などで眺めると、女工達は低賃金、毎日11時間労働、極めて粗末な低カロリー食事、日常生活の半拘束、年期制度、前貸制度、強制送金制度等々、募集時の甘い条件とは天地の開き。死亡率たるや1000名工員当り23名/年の苛酷さは刑務所以上。後年、僅かに母の口からこぼれた話は"工場記念日の僅かの配給干菓子を口にせず、故郷への小包にひそめるをかいま見、せつなかった"と。 自分の子達には社会の暗部には出来るだけ触れさせたくなかった親心であったのかも。

女工哀史の只中での4年の月日がどれ程母を強く・優しくしたのか。第二の試練であったことでしょう。

そんなところで、或る日総務部長から呼ばれた。それは次なる世界の話、試練でなければよいが・・・・・。

▼ 2006/ 11/16

母伝(一)/関東大震災の下で

(序)別掲の祖伝(一)(二)は父系の伝話。一方母系は、と家系図を眺めると、父系とは色合が異なり、信州伊那谷の土地ながら教育至上の地と言われる如く、親族には大学総長・帝国大学教授・文化人など多く、その気風を受け継いだのか、向学心に富み、女学校を出てから単身上京、神田に寄宿し学生生活に入った次第。それからの人生は天災に端を発し、続いての社会の変動に揉まれた多くの女性の一人でした。



リュックの中の餅はかびだらけ、ナイフで削って涙の食事。全ては神仏のご加護のたまものと。

そして母は次なる「女工哀史」の舞台へと・・・・・。

▼ 2006/ 11/08

預言者

一寸、予言者より字画の多い預言者とは、神の言葉を預かり人々に伝え広める人のこと。かのモーゼやイスラム教のムハンマドは、その代表格。預言者とは大きく異なり、人の未来や運勢・事件などを予め言い当てるのが予言者。ノストラダムス氏などはこの範疇はんちゅうか。科学技術の世界でも、これからどうなって行くのか、いや、どうすべきなのかの調査・検討・研究・洞察が求められ、例えば産業審議会技術分科会R&D委員会では予見/予測としてのロードマップを諸領域(コンピューター・ガン対策・ロボット・ナノテク・MEMS・先端部材など)にわたり2020年迄を公表。又NEDOでは未来技術年表として2033年迄の実現予想技術が予告されている。例えば・・・・・

 2026年 光をエネルギー源として炭酸ガスから直接プラスチックを合成
  〃  室温で銅と同程度の電気伝導度を有する高分子材料
  〃  タンパク質やDNAを素子とする分子デバイス・センサー
 2028年 室温以上のキューリー点を持つ前有機強磁性体
 2029年 原子・分子1個のスイッチング機能を利用した素子
 2033年 常温以上に転移点をもつ超伝導体

未来技術とて実現年に忽然と出現する筈もない。素地が作られ種がかれ、育つ為の日光と環境と時間が与えられても、社会的ニーズとの人為的連動が必要とされるだけに、ロードマップが行く手の灯台となるのか、忽然と視界から消えてしまうのか・・・・・?

予言はサイエンス者のみならず経済学者・哲学者などの参画も必要だろうが、政治家・宗教家達は好ましくないと思えるのは、映画"コンタクト"の影響か。

▼ 2006/ 11/01

手配師

大学のOBの集いの産業・企業人会で研修委員を務めたことがあった。(昭和60年〜平成6年)。研修と言っても講演会の手配師が役目。年6回の講師候補の選定・理事会への提案・承認を経て、候補者先生との折衝に入る手順。今でこそ講演会の企画・実施の専門サービス会社は多数あれど、60〜100名程の集いでは予算が乏しく、俗に言う有名人を招くわけにはゆかぬ。会員(聴衆)からすれば、大物を希望。又、自身としても勤め人なれば時間的にも制約があり、講師候補者との折衝も時間・回数で難しい立場。最大の難関は、講師希望日と会場予約日の一致。何と言っても超大物先生程、この種の講演を引き受けない方針(姿勢)。当然の事乍ら、若輩の当方のは大きくない現実。そうなれば顔の大きな方(コネ)を求めて・・・・・と相成る。会のボスの大顔の程を知り、これを最大限に利用いや活用しての 汗出し。技術講話が難しすぎて判らなかったノーベル賞の福井健一先生、実家の日本酒を1升ビンで20本持参のソニーの盛田昭夫会長、新商品ビールとコンパニオン数名同伴してのサントリー佐治敬三会長、訥々とつとつと、「経営と心」を語った京セラ稲森和夫会長、ロマン豊かに古代エジプトを学術的に語る早稲田大学の吉村作治先生、他 多くの方々。 幸いにも、おおかたの先生方は無償ないしは全額寄付の形をとられました。

P.S.:老化について語った若き薬学・哲学博士の美人後輩OG、本格的に衣装をまとったソプラノ歌手の講演はドヨメキと華ヤギで、手配師の面目躍如。

▼ 2006/ 10/23

ある工具の輸入にまつわる話・第二幕

案の定、別便の銃の通関検査でもひと悶着すれど、"銃ではない 工具ですよ"との必死の説明でやっとのことパス。早速社内実機試験。予想以上の威力?に又、不安感が頭をよぎる。銃身に小砂利を詰めての試射。結果は火薬なしと言えども立派な散弾銃。改めて銃刀法 - 銃 の定義を見る。銃とは「金属性弾丸を発射する機能を有し装薬銃砲及び空気銃(圧縮ガスを使用するものを含む)」と。

正直、困ったなの思いで、地元の警察署へ、そして方面本部へ、果ては警視庁へと。いずれでも判然とせず(役所は安易に結論を出す筈がない)最終的に警察庁へ。警察庁事務官とて判断つかず、付属技術研究所にて特性評価を出そうとなった。早速、試射室にて鉛弾を銃身内径に合せて10発作っての試射。5ミリ厚杉板3枚貫通寸前の威力は弾速43メートル/秒とか。人畜殺傷能力有り。ところが幸いにして、社会に役立つ道具とて認可。規制なしの販売が認められた。それでも暴力団関係に流れない様顧客層には十分注意を払いながらの販売活動の中、トイレのタバコの吸い殻の詰まりトラブルを抱えていたパチンコ業界からの大量注文には改めて驚いた次第。

(後日談)

▼ 2006/ 10/18

ある工具の輸入にまつわる話・第一幕

1973年(昭和48年)春、偶々JETROで目にした大型拳銃の形をした配管つまり更生用圧気工具はドイツ製品だった。丁度欧州出張するところであったので、訪問ルートに組み込んだ。ミュンヘン市郊外の古色蒼然たるお屋敷でのネゴ。かつての所有者はかのドイツ帝国副総統ヘス(ニュルンベルグ裁判で終身刑、1987年獄中自殺)。輸出の権利は英国WR社とて、ロンドンにてサンプル入手と買付契約しブリーフケースに銃を納めてフランクフルト空港に降り立つ。入国検査中やにはにドイツ国防軍の兵に囲まれ別室に連行される。これは、運悪いことに前日(7/20)にSOLOと名乗る4名のパレスチナゲリラと1名の日本赤軍が、アムステルダム発のJALジャンボ機をハイジャックしリビアのベンガジ空港にて人質解放後爆破した直後のこと。思えば当方の大不注意、不流暢な英語での必死の説明・・・・・そしてやっと釈放。銃は幸い、別便扱いで日本へ・・・・・と。

今日ならば、自社オフィスでPCによる情報検索、各社HPチェック、TEL・E-Mailでの商談、商品引取代行組織、機器特性評価機関 等への依託など、いろいろな仕組みが有るが、その当時は孤軍奮闘?を余儀なくされた次第。これにて一件落着かと思いきや、第二幕が日本国内で待っていた・・・・・

▼ 2006/ 10/11

アナログ派 デジタル派

2011年からアナログTVが廃止され地上デジタルに切替えられる。今迄、アナログ/デジタルの違いはせいぜい腕時計の針式か数字表記式か、位の知識程度故に、改めて辞書を開いてみた。

アナログは計量型で連続的な値をとる量・五感にとって得る情報デジタルは計数型・信号情報と。解るような解らないような表現。

アナログ型の感じの自身としては、曖昧・おおらかがフィットするも、一方 几帳面さもあるとなると、時々A/D(アナログ/デジタル)変換型か。又、別の表現を取るならば、アナログは分解してデジタルに、デジタルは積み上げてアナログにとの感じ。

そんなところに出会った言葉は「アナログは樹、デジタルはその葉っぱ」と。そんなところに触れたTV番組の「車の乗り味」の話。乗り味の良し悪しが売れ行きを左右する大要素となるとトコトン詰めねばと、デジタル感覚の車設計者に対して、テストドライバーはアナログ的運転感覚を、部品等の取付け措置によるデジタル語への翻訳の形でフィードバックするのが任務と。 又、他TV番組の「金型を無人で製作する」も、職人的組立・すり合せ技術を徹底的に工程分析し、工作機器に教え込む。殊に嵌めこみ部の精密遊びの設け方は教訓的。同様に他の分野でもA/D変換の狙いどころとして、ラーメンスープのあり様/衣服の着心地/住み心地/ストラディバリウス級バイオリンの研究も多々存在するでしょう。

A/D変換と言うよりもむしろA/D融合ですね。血液型と性格傾向に関する書物は多いですが、生物学・細胞学・生現象的に何故か、の研究もA/D変換に立脚した研究はあるかも・・・・・。

▼ 2006/ 09/25

パートタイマーさん

BOOK・OFF社の社長に抜擢ばってきされたのは、かつてパートタイマーとして雇われた女性でした。年々、企業はパートの比重(人数のみならず、仕事の質に於ても)が大きくなって来ており、その効率は業績を左右するほどになっている。自身、生産工場時代のパートとの触れ合いが思い出される。60歳前後で製造現場作業員の条件で雇はれた人々・・・・・


団塊の世代の大量定年退職問題は技能の空洞化の一方、当人たちは年金受給空白期間となる。企業側も、健康・技能・経験に加えて働く意欲が、業績向上に効果的な要素となるものと知るべき。

▼ 2006/ 09/11

商品クレーム

家庭での修理・補修の事件?は誰でも経験。我家の最近の4例かくの如し。

・プリンター
  「ハイ インクタンクが満パイ」の表示。ハイは廃か排か判らない。マニュアル見るも個人では不可と。TELすると、サービスセンターに持込んで下さい→山の中から50kmも行けませんよ→では、出張引取となりますので有料です。又一週間はかかります、と。→エーッ?

・小型車
  ドア開閉にガタツキあり、見るとドアヒンジのピンに亀裂発見。そこで、ディーラーに持ち込む。ピンのガタですね(亀裂とは言はない)→では調節で直るのですね→いや交換したほうがよいでしょう→では見積もってください→見積書 2.5万円也・・・・・(無言)→ピンを外すには、前バンパーを外し、フェンダーを外し、ドアを外して、ピンにたどり着く、と。→そんな設計は変だよ。

・一眼レフカメラ
  入手から20年以上経たしろもの。シャッターの不調でメーカーのサービスセンターに持ち込む。
  弊社では15年以上は部品交換に応じておりません→調整で済むレベルのことと思はれるのですがどうにかなりませんか→ではやるだけやってみますが駄目なときは諦めて下さい→仕方ありません→(修理)→修理成功!

・住宅
  数年前に再塗装した外壁複合パネル(無機質板/木質パネル)に反り発生し、継目に隙間出来、危うく雨水侵入の破目に。メーカーに聞くと、いつの間にか廃絶品となっており、現在は無機板のみの構造パネルと。手入れさえしておれば40〜50年は保つのかと思っていたのだが・・・・・。膨張係数の差は考えていなかったのか!


上の4例は何れも、一部上場大企業で就職人気でも上位の会社たち。お客様の立場で・・・・・とよく発言するも現実は、カメラの例のみ納得しただけ、小型車の例ではライバル社の中型車に乗りかえました。

▼ 2006/ 09/07

水車

里山・水車は日本人の心の原風景。黒澤明監督の「夢」の中の笠智衆と水車、西洋人ならシューベルトの"美しき水車小屋の娘"か。モートル駆動源の無い時代の主力は水(力)車。DC100年頃には出現、英国では11世紀には水車製粉業が急増、13世紀には水力エネルギーによる羊毛工業、16世紀には溶鉱炉のふいごやハンマーを動かす様になり、18世紀のタービン式水車の出現で産業の主力動力の座に。一方、日本では六甲山の急流を利用した水車による高度精米技術と宮水によって生れた灘の酒。又、明治18年着工の琵琶湖疎水は水車動力も狙ひの大工事であったと。

信州伊那谷の母の生家は清流溝に囲まれて隅角には水車小屋、大雨のあとの水量調節は子供の仕事だった、と。水車のトントン/小川のせせらぎ/木立のざわめき、は日本人のDNAにインプットされているとしか思えない。エネルギー多角化時代、古くても新しく水力を復活せんと、河川水落差による水中水車の開発が進行中と聞いた。小川でも潜水エネルギーを顕在化させるのが水車。スーパーキャパシター、二次電池と組合せた連凧ならぬ、ワイヤーに連珠水車の束を流れに投げ入れれば、なんて夢想。温度差・弱風・小川の水量などを目いっぱい効率利用して、新・国家エネルギー戦略の2030年迄石油依存度40%以下の目標達成に資する様になればと。何せ、日本は雨の国だから何とか・・・・・。

▼ 2006/ 08/28

夏のノーベル賞

日本水大賞なる賞の存在を知ったのは知人が送ってくれた農水省のプレスリリースでした。それは、(社)日本河川協会主催による、大賞・6賞の大臣賞・他3賞を目指すところの「安全・きれい・おいしい水の日本と地球を目指し、水循環系の健全化に寄与する・・・・・」運動・活動で、かの有名なノーベル賞(冬挙行)に並べて夏のノーベル賞と称されているストックホルム青少年水大賞につながるもの。夏のストックホルム受賞式には、冬と同様にグスタフ国王のご臨席・晩餐会など尊敬と格式が保たれている本格的な式典と。1997年第一回として発足、第8回(2004年)に日本の高校生チームが大賞(グランプリ)に。

「宮古の水を守れ」-土壌蓄積リンで環境に優しい有機肥料作り-

沖縄県立宮古農林高等学校 環境班

宮古島は川・湖の水資源なく、地下水のみに頼る生活の為、地下水汚染は即生命に関わってくる。一方農地主体の島は硝酸性チッソ肥料に汚染され、それはブルー赤ちゃん症候群(呼吸疾患で死亡へ)の因に。そこで島特産のサトウキビ製糖工場の搾り粕-バガスを主体とした有機肥料の開発を為し、土壌に蓄積したリンを溶解する菌の培養、その炭素源としての糖蜜の配合、そして施肥一評価によって過剰チッソの低減が計られた、と。その結果 地下水汚染の軽減に・・・・・と。


本テーマの活動は8年間に亘るものであったことは、高校3ヶ年としたとき3代に亘っての継続研究を意味し、その合言葉は「考えは地球規模で、行動は足元から・・・・・」と。なんとすばらしい高校生たちよ。

▼ 2006/ 08/21

五重の塔は倒れない

別項の「制振技術で快適さを」で材料技術に触れました。そんな時TV番組「五重の塔は何故倒れないのか」を見、改めて驚く。その秘密を解明しようとしてた学術研究者たちも改めて驚嘆きょうたんしていた。先ず強靭な檜材、それも年輪が1センチ幅で20本クラスのもの(平成檜材は8本レベル)を用いている唐招提寺の金堂は、過去に何回か激しい地震に見舞はれるも倒壊せず、それは制震技能を有する組物構造にある、と。柱・梁を支える受け皿的な大斗や巻土が回転し、続いて横木の上で滑り、更にはダボの変形迄もが加わり、3ステップで衝撃を、振動をやんわりと吸収してしまう仕組みが高速度カメラで明らかになった次第。木材しか構造材として頼るものがない時代、先人達は創意工夫を極め、現代技術者さえも考え及ばない制震構造を案出したことに唯々敬意。この構造のポイントは遊び寸法 即ち意識的ガタにある訳、と。今日ではコンクリート/鉄の大型構造物が主となると、木材・ガタ寸法に頼る訳にはゆかず弾性・弾塑性設計等に基く耐震構造や積層ゴムアイソレーターに建物を乗せてしまう免震構造、別項で触れたダンパー材を組み込み、更にはその自動制御能を付加したアクティブ・マス制振方式等と方式も分化・発展。それにしても、鉄筋減量による耐震データ偽造事件の発生は天災(地震)に人災を乗(掛算)する様なもの、とんでもないこと。

▼ 2006/ 08/02

叱責を受ける

叱る、は本来指導・教育的なものと叱る側の憤懣ふんまん発露的なものといろいろ。子供時代の目上の者からの愛情ある親愛叱り、学級時代の教師からの学習態度への叱りやクラブ活動リーダー・先輩からの叱りなど、人の生長に叱られは栄養素。社会に出ると叱りも叱られも生臭さが伴なって来る。自身の叱られ体験として、

  1. 昭和30年代

    朝の始業前のグータラ体操を見た会社オーナーは"もっとしっかりやれよ"と。翌朝も、偶々巡回オーナーは、体操状態を見て私を一喝。

    「俺の言っていることをもっと真剣に聞け。体操一つ立派に指揮出来ず、何で大きな仕事が出来ようか・・・・・」と。

  2. 昭和40年代

    本社通達で、海外出張時の見送り・出迎え不要、とあるも米国責任者の帰国時課長出迎えに出し、自身は欧州代理店社長接待にて出ず、をオーナーから叱責される。弁解するも通じず。地頭には勝てぬ、の例か。しこりがいつ迄も残る有様。

  3. 昭和50年代

    経営層に不和生じ、乱発怪文書の火の粉浴びてしまった。それを鵜呑みにした大顧客責任者より直接に電話叱責。早速参上し誠心を述べ納得をいただく努力も・・・・・。

  4. 昭和60年代

    自身のある政策的行動が大きな誤解を生み出し、トップから叱責を受けるも、オーナーに対しての斟酌しんしゃくから敢て責を受け場を納めた。後日トップは自己の発案として上の政策を推進。その時自身は、蚊帳の外に。

上4例は自身が叱られ側であったもの。叱る側に居たのは数多くあった筈なのに、記憶には2-3程度。勝手ですねー。

▼ 2006/ 07/26

得手に帆上げて

バブルはじけて、多くの企業は多角化路線で苦渋をめた。一見、果実を結ぶと見える枝を樹に接木してもくっつくとは限らない。事業展開に於て自己の能力(組織・技術・経験・顧客・資金・・・・・)に沿う行動・判断が確かなものと。自身は1960年代工業用ゴム成形品等に携わっていた時、当時新顔のエポキシ樹脂と出会い、上司のトップは専門子会社設立し、その担当を命じられた。元来応用性の広いレジン、"盲・蛇に怖じず"と事業を次々と拡大。防食工事部門/FRP成形(レーダードーム・化学品用パイプ)/電磁弁コイルモールド等。やがて当時ハイテクのトランジスター・ダイオードの封止剤も順調に拡大、遂には最先端と目されていたトランスファーモールド型の開発にも着手。こうなると親会社はグループの効率的経営を目指すとかの名目で、或る日突然吸収合併。その結果、個々の事業に夢も、知識も、経験も持たぬ経営者が関わって来て、困難発生毎に逃避する態度での縮小化。当時の機械分野の人々には電子は遠い異分野であったので・・・・・。一般にトップの不理解での判断ミスと経営の齟齬そごが有っても、社内的には経営者はいつも勝者の立場とて逆らえず、波長合はぬ者は去るのみと。その経営者とて、市場の大変動を目の当たりにして聞く耳を持ち始め、再構築?するも人材(専門レベル、頭数)不足から、やむ得ず得手(コア領域)に立脚したユニットのみに集中。顧みるに、適材適所と恣意的な組織改変の不合理さに配慮が無かったと。自律分散型企業集団が良いのが一般となり、コーポレート/カンパニー制が盛んとなる。企業も個人も"得手に帆上げて"が幸せ。

▼ 2006/ 07/18

運(二)

人生は運の積み重ね。その運も偶然よりも必然的運か。恐縮ながら自身のを。

家系運

 父方は別項 祖伝(一)(二)で触れました。明治時代以降、醸造業(醤油・味噌)・地主・山林業で一応の成功を納めた大家族制下で、小学生時代から 作業義務割当てられる。醤油ビン洗滌せんじょうと充填、菜園農作業、家畜(牛・豚)の給餌、 早朝の庭掃き 等

学問運

 母方は遠地信州出身。一族には大学総長・教授・博士・文人 等 多数。母は若くして上京、学校〜会社員経て、縁あって父と結婚。その子、戦後と て何もなくの中、幸い東京より疎開の書籍、山程有り読破。日常的には吝嗇りんしょくおさも教育には惜しまぬ人柄とて米国系聖書学園(中等ミッションスクール)に入校。大学 入試も不思議に一夜漬けが総当り。担当教授からすすめられて外部で卒業研究。そのテーマたる石炭がベンチャー企業の入社問題に出題され合 格と。

産業人運

 入社ベンチャー企業は化学材料系なのにオーナーは商人的。経営に紆余曲折あるも、やがて國運の発展に沿うように拡大繁栄。研究開発/販売/ 生産/エンジニアリングサービス/新規事業体海外事業、等々 あらゆる部門職務の体験。反面専門があいまいに。その間 多くの人々(上司・同僚・部 下・多外関係者の方々)といろいろな場所で、タイミングよい(悪いときも多かったが)職務担当出来。

家庭運

 子(男・女・女)、孫(男・男・女)に恵まれたのも妻のお陰。又、皆々健康なること神仏のお陰、と。


ベンチャー工場で精励出来たもの家庭労働の下積みがあればこそ、海外事業で戸惑ひがなかったのも、欧米の本・映画の素地があったから、何よ りも、大家族制度の経験から、腹七分目の自己主張で自己を抑えることが「和」を拡げ、その行動が結果的に増運に繋がっているのか、と。

▼ 2006/ 07/12

心は生命(いのち)の波動か

神棚と仏壇が混在する典型的な日本の家庭に生れ、教徒でもないのに米系の聖書学園(中学)に入るも、"人に原罪あり"の教義に馴染まずの体験経て青年時代には自然・天然の事象に波動を感ずる自己を認識する様になる。日本人は人や自然、それを包み込んでいる何らかの力への畏敬に満たされていると感じ、やがては加齢と共に輪廻転生りんねてんしょうの仕組みも徐々に沁み込んで来るのが普通の傾向かと。思い出せば自身五才の頃の実体験「庭、母屋の外の便所から戻るとき、朧気おぼろげな灯玉が現れ、目前を何秒か漂ったのち消えてしまったものの、恐怖感など全く感じなかったこと、直ぐに母に伝えると母は涙。翌朝電報あり、遠地にて病中の母(祖母に当る)の逝去の報」

現在、やっと大脳内の心表象研究が強く推進されつつあり、高次認知機能の視覚イメージ成形や心的機構としてのニューロン表現の機構解明進むも、千里の道の一歩となるか否か。産業企業人時代、ある研修過程で、もっとも強調された点は「魂の向上、発展を計れ」であった。即ち、現世は学習の場、よって魂を磨いてより輝くようにしてあの世に行けば、又転生した(再)現世ではより素晴らしい学習の場となろう、と。即ち、現世での生物的身体は現世での借り物 魂の宿り場と。さすれば研究はやっと借り物の仕組みに手が付いたところとなるのかな・・・。

▼ 2006/ 06/23

友愛

映画「博士の愛した数式」を見た。核戦争をデフォルメしたブラックコメディー「博士の異常な愛情」(S・キュブリック監督)やFBIの科学的捜査を描いた「レクター博士の沈黙」(マイケル・マン監督)等の博士から、狂気の匂いが漂うタイトルなのに思はぬ展開に驚く。主人公は数学者、初対面の家政婦に誕生日を聞き、2月20日とは"いさぎよい数字"と。数字は数字・無機質・非生物的と思っている者には、驚き。そして数字220は、その約数の和が284となっている一方、284の約数の和は220と。こんな関係にある数字の組を友愛数と名付けてあると、博士の解説。

本、出会いの欄の筆者の頭文字はU.I.、漢字では友愛と号していただけに博士の発言に妙に小感動を覚える。更にはU.I.の誕生日はくだんの家政婦と同じ2月20日(野球のミスター長嶋も同じく)。さすれば妻との友愛度はいかなりと計算。即ち、284は10月11日に相当。残念、妻の誕生日は10月12日でした。俳句の一字余りの如き一日余り。生れ年の昭和○○年迄さかのぼって、閏年うるうどしか調べればと・・・・・。個人的な話で恐縮の限り。人は己に関わる事象には我田引水的に当たる性向があるもの。それが神秘的なもの、不可解なものほどかれるのは理屈ではない。これが単なる偶然ではなく、或る種の必然としたとき、新たな生気が発生して来ましょう。

(註)他の友愛数は(1184,1210)(2620,2924)など

▼ 2006/ 06/23

隔靴掻痒

足の痒いところを靴皮の上から掻く。 欲求不満の